字の上の三字で、わたくしは今これを讀んで「同年五月」となさむと欲する。何故と云ふに、別本には誠範の右に「蓮譽定生大※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、223−上−10]、文政五年|壬午《じんご》八月」があつたから、此《かく》の如くに讀むときは、此彫文と符《ふ》するからである。果して誠範を九代一鐵の父長島五郎兵衞だとすると、此名の左隣にある別本の所謂九代の祖父「覺譽泰了居士、明和六年|己丑《きちう》七月四日」は、誠範の父であらう。又此列の最右翼に居る「範叟道規庵主《はんそうだうきあんしゆ》、元文三年|戊午《ぼご》八月八日」は、別本に泰了縁家の祖と註してあるから、此系の最も古い人に當り、又此列の最左翼に居る壽阿彌の父「頓譽《とんよ》淨岸居士、寛政四年|壬子《じんし》八月九日」は、泰了と利右衞門の稱を同じうしてゐるから、泰了の子かと推せられる。以上を誠範系の人物とする。江間氏と長島氏との連繋は、此誠範系の上に存するのである。
此大墓石と共に南面して、其西隣に小墓石がある。臺石に長島氏と彫《ゑ》り、上に四人の法諡《ほふし》が並記してある。二人は女子、二人は小兒
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