の寺院に避難し、七は寺院に於て一少年と相識になり、新築の家に歸つた後、彼《かの》少年に再會したさに我家に放火し、其《その》科《とが》に因《よ》つて天和三年三月二十八日に十六歳で刑せられた。島は七の死を悼《いた》んで、七が遺物の袱紗に祐天上人《いうてんしやうにん》筆の名號《みやうがう》を包んで、大切にして持つてゐた。
 後に壽阿彌は此袱紗の一邊に、白羽二重の切《きれ》を縫ひ附けて、それに縁起を自書した。そしてそれを持つて山崎美成に見せに往つた。
 此袱紗は今淺井氏の所藏になつてゐるのを、わたくしは見ることを得た。袱紗は燧袋形《ひうちぶくろなり》に縫つた更紗縮緬《さらさちりめん》の上被《うはおほひ》の中《うち》に入れてある。上被には蓮華《れんげ》と佛像とを畫《ゑが》き、裏面中央に「倣尊澄法親王筆《そんちようはふしんのうひつにならふ》」、右邊に「保午浴佛日呈壽阿上人蓮座《はうごよくぶつじつじゆあしやうにんれんざにていす》」と題し、背面に心經《しんぎやう》の全文を寫し、其右に「天保五年|甲午《かふご》二月廿五日佛弟子竹谷依田|瑾薫沐書《きんくんもくしてしよす》」と記してある。依田竹谷《よだちく
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