山公を謂ふのである。
 此俸祿の事は先祖書の方には、側女中《そばぢよちゆう》島を娶《めと》つた次の代廓清が受けたことにしてある。「乍恐《おそれながら》御西山君樣御代|御側向《おんそばむき》御召抱お島|之御方《のおんかた》と被申候《まうされそろ》を妻に被下置《くだしおかれ》厚き奉蒙御重恩候而《ごぢゆうおんをかうむりたてまつりそろて》、年々御米百俵|宛《づゝ》三季に享保年中迄頂戴仕來冥加至極難有仕合《きやうはうねんちゆうまでちやうだいつかまつりきたりみやうがしごくありがたきしあはせ》に奉存候《ぞんじたてまつりそろ》」と云つてある。しかし清休がためには、島は子婦《よめ》である。光圀は清休をして島を子婦として迎へしめ、俸祿を與へたのであらう。
 八百屋お七の幼馴染《をさななじみ》で、後に眞志屋祖先の許《もと》に嫁した島の事は海録に見えてゐる。お七が袱紗を縫つて島に贈つたのは、島がお屋敷奉公に出る時の餞別《せんべつ》であつたと云ふことも、同書に見えてゐる。しかし水戸家から下《さが》つて眞志屋の祖先の許に嫁した疑問の女が即ち此島であつたことは、わたくしは知らなかつた。島の奉公に出た屋敷が即ち水戸家
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