である。「馨譽慧光大※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、223−下−1]《けいよゑくわうだいし》、文政六年|癸未《きび》十月二十七日」は別本に十二代五郎兵衞※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、223−下−2]、實は叔母《しゆくぼ》と註してある。「誠月妙貞大※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、223−下−3]、安政三年|丙辰《へいしん》七月十二日」は別本に五郎作母、六十四歳と註してある。小兒は勇雪、了智の二童子で、了智は別本に十二代五郎兵衞實弟と註してある。要するに此四人は皆十二代清常の近親らしいから、所謂五郎作母も清常の初稱五郎作の母と解すべきであるかも知れない。別本には猶《なほ》、次に記すべき墓に彫つてある蓮譽定生大※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、223−下−8]の下《もと》に、十二代五郎兵衞養母と註してある。清常には母かと覺しき妙貞があり、叔母慧光があつて、それが西村氏に養はれてから定生を養母とし、叔母慧光を姉とするに至つた。以上を清常系の人物として、これに別本に見えてゐる慧光の實母を加へなくてはならない。即ち深川靈岸寺開山堂に葬られたと云ふ「華開生悟信女《けかいしやうごしんによ》、享和二年|壬戌《じんじゆつ》十二月六日」が其人である。しかし清常の父の誰なるかは遂に考へることが出來ない。

     二十六

 次に遠く西に離れて、茱萸《ぐみ》の木の蔭に稍《やゝ》新しい墓石があつて、これも臺石に長島氏と彫つてある。墓表には男女二人の戒名が列記してある。男女の戒名は、「淨譽了蓮居士、寛政八|辰天《しんてん》七月初七日」と「蓮譽定生大※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、223−下−20]、文政五|午天《ごてん》八月二十日」とで、其中間に後に「遠譽清久居士、明治三十九年十二月十三日」の一行が彫り添へてある。了蓮は過去帳別本の十代五郎作、定生は同本の十二代五郎兵衞養母、清久は師岡久次郎即ち高野氏石の亡夫である。
 定生には父母があつて過去帳別本に見えてゐる。父は「本住院活法日觀信士、天明四年|甲辰《かふしん》十二月十七日」、母は「靈照院|妙慧日耀信女《めうゑにちえうしんによ》、文化十二年|乙亥《おつがい》正月
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