門《かど》に立つてゐるのを顧みた。
「それ、雨こん/\が降つてゐます」などゝ、お上さんは背中の子を賺《すか》してゐる。
「ちよつと物をお尋ね申します」と云つて、わたくしはお上さんに來意を述べた。
 お上さんは怪訝《くわいが》の目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて聞いてゐた。そしてわたくしの語を解せざること良《やゝ》久しかつた。無理は無い。此《かく》の如き熱閙場裏《ねつたうぢやうり》に此の如き間言語《かんげんぎよ》を弄《ろう》してゐるのだから。
 わたくしが反復して説くに及んで、白い狹い額の奧に、理解の薄明がさした。そしてお上さんは覺えず破顏一笑した。
「あゝ。さうですか。ではあの小石川のお墓にまゐるお婆あさんをお尋なさいますのですね。」
「さうです。さうです。」わたくしは喜《よろこび》禁ずべからざるものがあつた。丁度外交官が談判中に相手をして自己の某主張に首肯せしめた刹那のやうに。
 お上さんは纖《ほそ》い指尖《ゆびさき》を上框《あがりがまち》に衝《つ》いて足駄を脱いだ。そして背中の子を賺《すか》しつゝ、帳場の奧に躱《かく》れた。
 代つて現れたのは白髮を切つて撫附《なでつけ》にした媼《おうな》である。「どうぞこちらへ」と云つて、わたくしを揮《さしまね》いた。わたくしは媼と帳場格子《ちやうばがうし》の傍《そば》に對坐した。
 媼《おうな》名は石《いし》、高野氏、御家人の女《むすめ》である。弘化三年生で、大正五年には七十一歳になつてゐる。少《わか》うして御家人|師岡《もろをか》久次郎に嫁した。久次郎には二人の兄があつた。長を山崎某と云ひ、仲を鈴木某と云つて、師岡氏は其《その》季《き》であつた。三人は同腹の子で、皆|伯父《をぢ》に御家人の株を買つて貰つた。それは商賈《しやうこ》であつた伯父の産業の衰へた日の事であつた。
 伯父とは誰《た》ぞ。壽阿彌である。兄弟三人を生んだ母とは誰ぞ。壽阿彌の妹である。

     十五

 壽阿彌の手紙に「愚姪《ぐてつ》」と書してあるのは、山崎、鈴木、師岡の三兄弟中の一人でなくてはならない。それが師岡でなかつたことは明白である。お石さんは夫が生きてゐると大正五年に八十二歳になる筈であつたと云ふ。師岡は天保六年生で、手紙の書かれたのは師岡未生前七年の文政十一年だからである。
 山崎、鈴木の二人は石が嫁した時皆歿してゐ
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