私が十四五歳の時
森林太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いま/\しい
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 過去の生活は食つてしまつた飯のやうなものである。飯が消化せられて生きた汁になつて、それから先の生活の土臺になるとほりに、過去の生活は現在の生活の本になつてゐる。又これから先の、未來の生活の本になるだらう。併し生活してゐるものは、殊に體が丈夫で生活してゐるものは、誰も食つてしまつた飯の事を考へてゐる餘裕はない。
 私は忙しい人間だ。過去の生活などを考へてはゐられない。もう少し爺さんにでもなつて、現在が空虚になつたり、未來も排氣鐘の下の空氣のやうに、次第に稀薄になつて來たら、既往をでも顧みて見るだらう。兎に角まだそこまでは遠いやうに思つてゐる。
 私は名士だから問ふのださうだが、その名士だといふのも少し可笑しい。實は私自身ではまだ何一つ成功してゐるとは思はない。勿論今も何か成功しようとは心掛けてゐる。今からだと思つてゐる。それも空想に終るかも知れない。只ださう思つてゐる丈は事實である。
 私が十四五歳の時はどうであつたか。
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