死だのなんのと云ふ真面目な、意味の深い、恐ろしい問題を論じ出したからである。
「勿論争ふ必要はありません。併し覚悟をして置く必要はあります」と、ゴロロボフが云つた。
「何を」と云つて、ソロドフニコフは両方の眉を額へ高く吊るし上げて、微笑んだ。それは見習士官の最後の詞は、自分の予期してゐた馬鹿気た詞だと思つたからである。
「死ぬる覚悟をする為めに、死といふ事を考へるのです」と、ゴロロボフは云つた。
「馬鹿な。なぜそれを考へなくてはならないのです。わたしが毎日食つて、飲んで、寝てゐるから、それからわたしがいつかは年が寄つて、皺くちやになつて、頭が兀《は》げるから、食ふ事、飲む事、寝る事、頭の兀げる事、その外そんな馬鹿らしい事を、一々のべつに考へてゐなくてはならないと云ふのですか」と、もう好い加減に相手になつてゐるといふ調子で云つて、学士はその坐を立ちさうにした。
「いゝえ。さうではありません」と、見習士官は悲し気に、ゆつくり首を掉《ふ》つた。「さうではありません。先生の御自分で仰やつた通り、それは皆馬鹿気た事です。馬鹿気た事は考へなくても好いのです。併し死は馬鹿気た事ではありません。」

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