佩刀を取り上げに来たので、今死なずにしまったら、もう死ぬることが出来まいと、中の数人は手を下そうとさえした。やはり八番隊の竹内民五郎がそれを留めて、思う旨があるから、指図通にするが好いと云いながら「我荷物の中に短刀二本あり」と、畳に指で書いて見せた。一同遂に佩刀を渡してしまった。
二十二日に、大目附小南が来て、六番、八番両隊の兵卒一同に、御隠居様から仰せ渡されることがあるから、すぐに大広間に出るようにと達した。御隠居様とは山内豊信が家督を土佐守|豊範《とよのり》に譲って容堂と名告《なの》った時からの称呼である。隊長、小頭の四人を除いて、二十五人が大広間に居並んだ。そこへ小南以下の役人が出て席に着いた。それから正面の金襖《きんぶすま》を開くと、深尾が出た。一同平伏した。
深尾は云った。
「これは御隠居様がお直《じき》に仰せ渡される筈《はず》であるが、御所労のため拙者が御名代として申し渡す。この度《たび》の堺事件に付、フランス人が朝廷へ逼《せま》り申すにより、下手人二十人差し出すよう仰せ付けられた。御隠居様に於いては甚だ御心痛あらせられる。いずれも穏に性命を差し上げるようとの仰せである」言い畢《おわ》って、深尾は起って内に這入った。
次に小南が藩主豊範の命を伝えた。
「この度差し出す二十人には、誰を取り誰を除いて好いか分からぬ。一同|稲荷社《いなりしゃ》に詣《まい》って神を拝し、籤引《くじびき》によって生死《しょうし》を定めるが好い。白籤に当ったものは差し除かれる。上裁を受ける籤に当ったものは死刑に処せられる。これから神前へ参れ」と云うのである。
二十五人は御殿から下って稲荷社に往った。社壇の鈴の下に、小南が籤を持って坐る。右手には目附が一人控える。階前には下横目が二人名簿を持って立つ。社壇の前数十歩の所には、京都から来た砲兵隊と歩兵隊とが整列している。小南が指図すると、下横目が名簿を開いて、二十五人の姓名を一人ずつ読む。そこで一人ずつ出て籤を引いて、披《ひら》いて見て、それを下横目に渡す。下横目が点検する。この時|参詣《さんけい》に来合せたものは、初《はじめ》何事かと恠《あやし》み、ようよう籤引の意味を知って、皆ひどく感動し、中には泣いているものもある。
上裁を受ける籤を引いたものは、六番隊で杉本、勝賀瀬、山本、森本、北代、稲田、柳瀬、橋詰、岡崎栄兵衛、川谷の十人、八番隊で竹内、横田辰五郎、土居、垣内《かきうち》、金田、武内の六人、計十六人で、これに隊長、小頭各二人を加えると、二十人になる。白籤を引いたものは六番隊で岡崎多四郎以下五人、八番隊で栄田次右衛門以下四人である。
籤引が済んで一同御殿に引き取ると、白籤組の内、八番隊の栄田次右衛門以下四人、即《すなわ》ち栄田、中城、横田静次郎、田丸が連署の願書を書いて出した。自分等は籤引によって生死の二組に分れたが、初より同腹一心の者だから、一同上裁を受ける籤に当ったと同様の処置を仰せ付けられたいと云うのである。願書は人数が定まっているからと云うので、そのまま却下せられた。
所謂《いわゆる》上裁籤の組十六人は箕浦、西村両隊長、池上、大石両小頭と共に、引き纏《まと》めて本邸に留め置かれることになった。白籤組はすぐに隊籍を除かれて、土佐藩兵隊中に預けられ、別室に置かれた。数日の後に、白籤組には堺表より船牢《ふねろう》を以て国元へ差し下すと云う沙汰があって、下横目が附いて帰国し、各親類預けになったが、間もなく以後別儀なく申し付けると達せられた。
夜に入って上裁籤の組は、皆国元の父母兄弟その他|親戚《しんせき》故旧に当てた遺書を作って、髻《もとどり》を切ってそれに巻き籠め、下横目に差し出した。
そこへ藩邸を警固している五小隊の士官が、酒肴《しゅこう》を持たせて暇乞《いとまごい》に来た。隊長、小頭、兵卒十六人とは、別々に馳走《ちそう》になった。十六人は皆酔い臥《ふ》してしまった。
中に八番隊の土居八之助が一人酒を控えていたが、一同|鼾《いびき》をかき出したのを見て、忽《たちま》ち大声で叫んだ。
「こら。大切な日があすじゃぞ。皆どうして死なせて貰《もら》う積じゃ。打首になっても好いのか」
誰やら一人腹立たしげに答えた。
「黙っておれ。大切な日があすじゃから寐《ね》る」
この男はまだ詞《ことば》の切れぬうちに、又鼾をかき出した。
土居は六番隊の杉本の肩を掴《つか》まえて揺り起した。
「こら。どいつも分からんでも、君には分かるだろう。あすはどうして死ぬる。打首になっても好いのか」
杉本は跳《は》ね起きた。
「うん。好く気が附いた。大切な事じゃ。皆を起して遣ろう」
二人は一同を呼び起した。どうしても起きぬものは、肩を掴まえてこづき廻した。一同目を醒《さ》まして二人の意見を聞いた。誰一人成程と承服せぬものはない。死ぬるのは構わぬ。それは兵卒になって国を立った日から覚悟している。しかし耻辱《ちじょく》を受けて死んではならぬ。そこで是非切腹させて貰おうと云うことに、衆議一決した。
十六人は袴《はかま》を穿《は》き、羽織を着た。そして取次役の詰所へ出掛けて、急用があるから、奉行衆《ぶぎょうしゅう》に御面会を申し入れて貰いたいと云った。
取次役は奥の間へ出入して相談する様子であったが、暫《しばら》くして答えた。
「折角の申出ではあるが、それは相成らぬ。おのおのはお構《かまい》の身分じゃ。夜中に推参して、奉行衆に逢いたいと云うのは宜しくない」と云うのである。十六人はおこった。
「それは怪《け》しからん。お構の身とは何事じゃ。我々は皇国のために明日一命を棄てる者共じゃ。取次をせぬなら、頼まぬ。そこを退け。我々はじきに通る」
一同は畳を蹴立《けた》てて奥の間へ進もうとした。
奥の間から声がした。
「いずれも暫く控えておれ。重役が面会する」と云うのである。
襖《ふすま》をあけて出たのは、小南、林と下横目数人とである。
一同礼をした上で、竹内が発言した。
「我々は朝命を重んじて一命を差し上げるものでございます。しかし堺表に於いて致した事は、上官の命令を奉じて致しました。あれを犯罪とは認めませぬ。就いては死刑と云う名目《みょうもく》には承服が出来兼ねます。果して死刑に相違ないなら、死刑に処せられる罪名が承りとうございます」
聞いているうちに、小南の額には皺《しわ》が寄って来た。小南は土居の詞の畢《おわ》るのを待って、一同を睨《にら》み付けた。
「黙れ。罪科のないものを、なんでお上で死刑に処せられるものか。隊長が非理の指揮をしてお前方は非理の挙動に及んだのじゃ」
竹内は少しも屈しない。
「いや。それは大目付のお詞とも覚えませぬ。兵卒が隊長の命令に依って働らくには、理も非理もござりませぬ。隊長が撃てと号令せられたから、我々は撃ちました。命令のある度に、一人一人理非を考えたら、戦争は出来ますまい」
竹内の背後《うしろ》から一人二人|膝《ひざ》を進めたものがある。
「堺での我々の挙動には、功はあって罪はないと、一同確信しております。どう云う罪に当ると云う思召か。今少し委曲《いきょく》に御示下さい」
「我々も領解《りょうかい》いたし兼ねます」
「我々も」
一同の気色《けしき》は凄《すさま》じくなって来た。
小南は色を和《やわら》げた。
「いや。先の詞は失言であった。一応評議した上で返事をいたすから、暫く控えておれ」
こう云って起って、奥に這入った。
一同奥の間を睨んで待っていたが、小南はなかなか出て来ない。
「どうしたのだろう」
「油断するな」
こんなささやきが座中に聞える。
良《やや》暫くして小南が又出た。そして頗《すこぶ》る荘重な態度で云った。
「只今のおのおのの申条[#「おのおのの申条」は底本では「おのおの申条」と誤記]《もうしじょう》を御名代に申し上げた。それに就いて御沙汰があるから承れ。抑々《そもそも》この度の事件では、お上御両所共非常な御心痛である。太守様は御不例の所を、押して長髪のまま大阪へお越になり、直ちにフランス軍艦へ御挨拶にお出になって、そのまま御帰国なされた。君|辱《はずか》しめらるれば臣死すとも申すではないか。おのおの御沙汰を承った上で、仰せ付けられた通、穏かに振舞ったら宜しかろう。これから御沙汰じゃ。この度堺表の事件に就いては、外国との交際を御一新あらせられる折柄、公法に拠って御処置あらせられる次第である。即ち明日堺表に於て切腹仰せ付けられる。いずれも皇国のためを存じ、難有くお受いたせ。又歴々のお役人、外国公使も臨場せられる事であるから、皇国の士気を顕《あらわ》すよう覚悟いたせ」
小南は沙汰書を取り出して見ながら、こう演説した。太守様と云ったのは、当主土佐守豊範を斥《さ》したのである。
十六人は互に顔を見合せて、微笑を禁じ得なかった。竹内は一同に代って答えた。
「恩命難有くお受いたします。それに就いて今一箇条お願申し上げたい事がございます。これは手順を以て下横目へ申し立つべき筋ではございますが、御重役御出席中の事ゆえ、今生《こんじょう》の思出にお直《じき》に申し上げます。只今の御沙汰によれば、お上に置かせられても、我々の微衷《びちゅう》をお酌取《くみとり》下されたものと存じます。然らば我々一同には今後士分のお取扱いがあるよう、遺言同様の儀なれば、是非共お聞済下さるようにお願いいたします」
小南は暫く考えて云った。
「切腹を仰せ付けられたからは、一応|尤《もっと》もな申分のように存ずる。詮議《せんぎ》の上で沙汰いたすから、暫時《ざんじ》控えておれ」
こう云って再び座を起った。
又良暫くしてから、今度は下横目が出て云った。
「出格の御詮議を以て、一同士分のお取扱いを仰せ付けられる。依って絹服《けんぷく》一重《ひとかさね》ずつ下し置かれる」
こう言って目録を渡した。
一同目録を受け取って下がりしなに、隊長、小頭の所に今夜の首尾を届けに立ち寄った。隊長等も警固隊の士官に馳走せられて快よく酔って寐ていたが、配下の者共が打ち揃《そろ》って来たので、すぐに起きて面会した。十六人は隊長、小頭と引き分けられてから、今夜まで一度も逢う機会がなかったが、大目付との対談の甲斐があって、切腹を許され、士分に取り立てられ、今は誰も行住動作に喙《くちばし》を容れるものがないので、公然立ち寄ることが出来たのである。
隊長、小頭は配下一同の話を聞いて、喜びかつ悲んだ。悲んだのは、四人が自分達の死を覚悟していながら、二十人の死をフランス公使に要求せられたと云うことを聞《きか》せられずにいたので、十六人の運命を始めて知って悲んだのである。喜んだのは、十六人が切腹を許され、士分に取り立てられたのを喜んだのである。隊長、小頭の四人と配下の十六人とは、まだ夜の明けるに間があるから、一寐入《ひとねいり》して起きようと云うので、快よく別れて寝床に這入《はい》った。
二十三日は晴天であった。堺へ往く二十人の護送を命ぜられた細川|越中守慶順《えっちゅうのかみよしゆき》の熊本藩、浅野|安芸守茂長《あきのかみしげなが》の広島藩から、歩兵三百余人が派遣せられて、未明に長堀土佐藩邸の門前に到着した。邸内では二十人に酒肴《しゅこう》を賜わった。両隊長、小頭は大抵新調した衣袴《いこ》を着け、爾余《じよ》の十六人は前夜頂戴した絹服を纏った。佩刀は邸内では渡されない。切腹の場所で渡される筈である。
一同が藩邸の玄関から高足駄《たかあしだ》を踏み鳴らして出ると、細川、浅野両家で用意させた駕籠《かご》二十挺を舁《か》き据えた。一礼してそれに乗り移る。行列係が行列を組み立てる。先手《さきて》は両藩の下役人数人で、次に兵卒数人が続く。次は細川藩の留守居馬場彦右衛門、同藩の隊長山川亀太郎、浅野藩の重役渡辺|競《きそう》の三人である。陣笠|小袴《こばかま》で馬に跨《またが》り、持鑓《もちやり》を竪《た》てさせている。次に兵卒数人が行く。次に大砲二門を挽《ひ》かせて行く。次が二十挺の駕籠である。
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