こう》を出し、台場へは両隊から数人ずつ交代して守備に往くことにした。そこへこの土地に這入った時収容して遣《や》った幕府の敗兵が数十人来て云った。
「若しフランスの軍艦が来るようなら、どうぞわたくし共をお使下さい。砲台には徳川家の時に据《す》え付けた大砲が三十六門あって、今岸和田藩主岡部|筑前守長寛《ちくぜんのかみながひろ》殿の預りになっています。わたくし共はあれで防ぎます。あなた方は上陸して来る奴を撃って下さい」と云った。
 両隊長はその人達を砲台へ遣った。そのうち岸和田藩からも砲台へ兵を出して、望遠鏡で兵庫方面を見張っていてくれた。
 夜に入って港口へフランスの端艇が来たと云う知らせがあった。しかしその端艇は五六艘で、皆上陸せずに帰った。水兵の死体を捜索したのだろう。実際幾つか死体を捜し得て、載せて帰ったらしいと云うものもあった。

 十六日の払暁に、外国事務係の沙汰《さた》で、土佐藩は堺表《さかいおもて》取締を免ぜられ、兵隊を引き払うことになった。軍監府はそれを取り次いで、両隊長に大阪蔵屋敷へ引き上げることを命じた。両隊長はすぐに支度して堺を立った。住吉街道を経て、大阪|御池通《み
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