動になろうも知れません。どうぞそれだけは御免下さりませ」
「いや、国家のために忠死する武士の記念じゃ。留めるな」
垣内と僧侶とは揉《も》み合っている。それを見て垣内の所へ、中間の二三人が駆け附けた。
「大切な事を目前に控えていながら、それは余り大人気ない。鐘を鳴らして人を驚かしてなんになる。好く考えて見給え」と云って留めた。
「そうか。つい興に乗じて無益の争をした。罷《や》める罷める」と垣内は云って、撞木から手を引いた。垣内を留めた中間の一人が懐《ふところ》を探って、
「ここに少し金がある、もはや用のない物じゃ、死んだ跡にお世話になるお前様方に献じましょう」と云って、僧侶に金をわたした。垣内と僧侶との争論を聞き付けて、次第に集って来た中間が、
「ここにもある」
「ここにも」と云いながら、持っていただけの金銭を出して、皆僧侶の前に置いた。中には、
「拙者は冥福《みょうふく》を願うのではないが」と、条件を附けて置くものもあった。僧侶は金を受けて鐘撞堂を下った。
人々は鐘撞堂を降りて、
「さあ、これから切腹の場所を拝見して置こうか」と、幔幕《まんまく》で囲んだ中へ這入り掛けた。細川藩の番
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