ね》て六番、八番の両隊が舎営していたことがあるので、路傍に待ち受けて別《わかれ》を惜むものがある。堺の町に入れば、道の両側に人山《ひとやま》を築いて、その中から往々|欷歔《すすりなき》の声が聞える。群集を離れて駕籠に駆け寄って、警固の兵卒に叱られるものもある。
 切腹の場所と定められたのは妙国寺《みょうこくじ》である。山門には菊御紋の幕を張り、寺内には総て細川、浅野両家の紋を染めた幕を引き繞《めぐ》らし、切腹の場所は山内家の紋を染めた幕で囲んである。門内に張った天幕の内には、新しい筵《むしろ》が敷き詰めてある。
 行列が妙国寺門前に着くと、駕籠を門内天幕の中に舁き入れて、筵の上に立て並べた。次いで両藩士が案内して、駕籠は内庭へ舁き入れられ、本堂の縁に横付にせられた。
 二十人は駕籠を出て、本堂に居並んだ。座の周囲《まわり》には、両藩の士卒が数百人詰めていて、二十人の中一人が座を起てば、四人が取り巻いて行く。二十人は皆平常のように談笑して、時刻の来るのを待っていた。
 この時両藩の士の中に筆紙墨《ひっしぼく》を用意していたものがある。それが二十人の首席にいる箕浦の前に来て、後日の記念に何
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