《しんせき》故旧に当てた遺書を作って、髻《もとどり》を切ってそれに巻き籠め、下横目に差し出した。
 そこへ藩邸を警固している五小隊の士官が、酒肴《しゅこう》を持たせて暇乞《いとまごい》に来た。隊長、小頭、兵卒十六人とは、別々に馳走《ちそう》になった。十六人は皆酔い臥《ふ》してしまった。
 中に八番隊の土居八之助が一人酒を控えていたが、一同|鼾《いびき》をかき出したのを見て、忽《たちま》ち大声で叫んだ。
「こら。大切な日があすじゃぞ。皆どうして死なせて貰《もら》う積じゃ。打首になっても好いのか」
 誰やら一人腹立たしげに答えた。
「黙っておれ。大切な日があすじゃから寐《ね》る」
 この男はまだ詞《ことば》の切れぬうちに、又鼾をかき出した。
 土居は六番隊の杉本の肩を掴《つか》まえて揺り起した。
「こら。どいつも分からんでも、君には分かるだろう。あすはどうして死ぬる。打首になっても好いのか」
 杉本は跳《は》ね起きた。
「うん。好く気が附いた。大切な事じゃ。皆を起して遣ろう」
 二人は一同を呼び起した。どうしても起きぬものは、肩を掴まえてこづき廻した。一同目を醒《さ》まして二人の意見を聞い
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