いけどおり》六丁目の土佐藩なかし商の家に着いたのは、未《ひつじ》の刻頃であった。
 堺の軍監府から外国事務係へ報告に往った生駒静次は、口上を一通《ひととおり》聞き取られただけである。次いで外国事務係は堺にある軍監又は隊長の内一名出頭するようにと達した。杉が出頭した。すると大阪の土佐藩邸にいる石川石之助の出した堺事件の届書を返して、更に精《くわ》しく書き替えて出せと云うことである。杉は一応引き取って、両隊長署名の届書を出し、この上|御訊問《ごじんもん》の筋があるなら、本人に出頭させようと言い添えた。
 十七日には、前日評議の末、京都の土佐藩邸から、家老山内|隼人《はいと》、大目附林亀吉、目附谷|兎毛《ともう》、下横目数人と長尾太郎兵衛の率いた京都詰の部隊とが大阪へ派遣せられた。この一行は夜に入って大阪に着いて、すぐに林が命令して、杉、生駒と両歩兵隊長とを長堀の土佐藩邸に徙《うつ》らせた。
 十八日には、長尾太郎兵衛を以て、両歩兵隊長に勤事控を命じ、配下一同の出門を禁ぜられた。両隊長はこの事件の責を自分達二人で負って、自分達の命令を奉じて働いた配下に煩累《はんるい》を及ぼしたくないと、長尾に申し出た。両隊の兵卒一同は小頭《こがしら》池上|弥三吉《やさきち》、大石甚吉を以て、両隊長に勤事控の見舞を言わせた。両隊長は長尾に申し出た趣意を配下に諭《さと》した。
 そのうち京都から土佐藩の歩兵三小隊が到着して、長堀の藩邸を警固して厳重に人の出入を誰何《すいか》することになった。
 次いで前土佐藩主山内土佐守|豊信《とよしげ》の名代として、家老深尾|鼎《かなえ》が大目附小南五郎右衛門と共に到着した。これは大阪に碇泊《ていはく》しているフランス軍艦Venus[#「e」はアクサン(´)付き]《ヴェニュス》号から、公使Leon[#「e」はアクサン(´)付き]《レオン》 Roche《ロッシュ》が外国事務係へ損害要償の交渉をしたためである。公使の要求は直ちに朝議の容《い》るるところとなった。土佐藩主が自らヴェニュス号に出向いて謝罪することが一つ。堺で土佐藩の隊を指揮した士官二人、フランス人を殺害《せつがい》した隊の兵卒二十人を、交渉文書が京都に着いた後三日以内に、右の殺害を加えた土地に於《お》いて死刑に処することが二つ。殺害せられたフランス人の家族の扶助《ふじょ》料として、土佐藩主が十五万
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