ある。乙卯《おつぼう》は冬大地震のあった年である。
 巻中に名を烈している一行は洒落翁、国朝、仙鶴、宗理、仙廬(晴閑斎)、経栄、小三次(鳥羽)、国友、鳶常、仙窩、料虎、按幸(按摩幸助)、以上十二人である。洒落翁は竜池であろう。この中に伊三郎がいたそうであるが、その号を詳《つまびらか》にしない。香以は「親爺《おやじ》の供をしては幅が利かぬから御免だ」と云って往かなかったそうである。
 一行が帰るとき迎えに出た人々は、香以、雁伍(石川甫淳)、余瓶、以白、集雨(玄々真人)以上五人である。
「巣へもどる親まつ鳰《にほ》のもろ音哉。香以。」
 跋文《ばつぶん》は香以が自ら草している。その他数人の歌俳及古今体狂詩が添えてある。
 按ずるに乙卯は竜池の歿する前年で、香以は三十四歳になっていた。わたくしの芥川氏に聞いた事はほぼ此に尽きている。
 わたくしに香以の事を語った人は、独り芥川氏のみではない。一知人はこう云う事を言った。「明治の初年に今戸橋の傍に湊屋《みなとや》という芸者屋があった。主人は河野と云って背の低い胖大漢《はんだいかん》であった。その妻は吉原の引手茶屋湊屋の女みなというもので、常にみいちゃんと呼ばれていた。芸者屋の湊屋と号するも、吉原の湊屋の号より取ったものであった。明治四年二月の頃、この家の抱えは貫六、万吉、留八の三人であった。この河野は香以の息だと聞いた。」この話は正確を保し難い。かつ未だ芥川氏にも尋ねて見ない。しかし河野が果して香以の息であったならば、即慶三郎のなれの果ではなかろうか。
 香以の交遊諸人に関しても、わたくしは二三の報を得た。尾道の古怪庵加藤氏は云う。「香以伝に香以の友晋永機を出し、その没年を明治三十七年としたのは誤であろう。今の機一君の父も永機、祖父も永機であった。香以の友は祖父の方であろう。そして明治三十七年に没したと云うは父の方であろう。」わたくしは其角堂の世系を詳にせぬから、あるいは此《かく》の如き誤をなしたかも知れない。そこで浅草の文淵堂主人に問い合せた。文淵堂の答書はこうである。「香以の友であった永機はまた九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎とも交が深かった。団十郎の筆蹟は永機そっくりであった。この永機は明治初年の頃に向島の三囲《みめぐり》社内の其角堂に住み、後《のち》芝円山辺に家を移して没した。没した日は明治三十七年一月十日で、行年八十二歳であった。寺は其角と同じく二本榎上行寺である。」文淵堂の言《こと》に従えば、わたくしの記事には誤がなかったらしい。猶《なお》考うべきである。
 香以のその他の友に関して、近隣の梅本高節さんは語った。「香以の友阿心庵是仏が谷中三河屋の主人なることは伝に見えていた。是仏の俗称は斎藤権右衛門であった」と云うのである。わたくしはこれを聞いて始て是仏の狩谷矩之の生父なることを知った。斎藤権右衛門には三子があった。長を権之助という。是が四世清元延寿太夫である。諸書にこの人の俗称を源之助と書してあるが、あるいは後に改めたものか。仲は狩谷三平懐之(※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎望之の実子)の養子三右衛門矩之である。季が父の称を襲《つ》いで権右衛門と云い、質店の主人となったと云う。
 梅本氏はまた香以の今一人の友小倉是阿弥の事を語った。「是阿弥は高木氏で、小倉はその屋号であった。その団子坂上の質商であったことは伝に云うが如くである。是阿弥の妻をぎんと云って、その子を佐平と云った。また佐平に息真太郎、女《むすめ》啓があった。然るに佐平もその子女も先ず死して、未亡人ぎんが残った。これが崖上《がけうえ》の家の女主人であった。」わたくしは此に由って、父が今の家を是阿弥の未亡人の手から買い取ったと云うことを知った。
 香以の他の友人二人の事は文淵堂主人が語った。石橋真国と柴田是真との事である。「石橋真国は語学に関する著述未刊のもの数百巻を遺した。今松井簡治さんの蔵儲《ぞうちょ》に帰している。所謂《いわゆる》やわらかものには『隠里の記』というのがある。これは岡場所の沿革を考証したものである。真国は唐様《からよう》の手を見事に書いた。職業は奉行所の腰掛茶屋の主人であった。柴田是真は気※[#「(漑−さんずい)/木」、第3水準1−86−3]《きがい》のある人であった。香以とは極めて親しく、香以の摺物《すりもの》にはこの人の画のあるものが多い。是真の逸事にこう云う事がある。ある時是真は息と多勢の門人とを連れて吉原に往き、俄《にわか》を見せた。席上には酒肴《しゅこう》を取り寄せ、門人等に馳走した。然るに門人中坐容を崩すものがあったのを見て、大喝して叱した。遊所に足を容るることをば嫌わず、物に拘《こだわ》らぬ人で、その中に謹厳な処があった。」
[#地から1字上げ](大正六年九月―十月)



底本:「森鴎外全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年1月24日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版森鴎外全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜9月
入力:ジェラスガイ
校正:小林繁雄
2005年3月17日作成
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