》となった。ただ空に聳《そび》えて鬱蒼《うっそう》たる古木の両三株がその上を蔽《おお》うているだけが、昔の姿を存しているのである。
 わたくしはある日香以が一家の墓を訪おうと思って、願行寺の門を入った。門内の杉の木立の中に、紺飛白《こんがすり》の浴衣《ゆかた》を著た壮漢が鉄唖鈴《てつあれい》を振っていて、人の来たのを顧みだにしない。本堂の東側から北裏へ掛けて並び立っている墓石を一つ一つ見て歩いた。日はもう傾きかかって来るに、尋ぬる墓表は見附からなかった。
 忽《たちま》ち穉子《おさなご》の笑う声がしたので、わたくしは振り向いて見た。顔容《かおかたち》の美くしい女が子を抱いてたたずんで、わたくしの墓表の文字を読んで歩くのを見ていた。
 わたくしは捜索を中止して、「あなたはお寺の方ですか」と問うた。
「はい。どなたのお墓をお尋《たずね》なさいますのです。」女の声音《こわね》は顔色と共にはればれとしていて、陰鬱なる周囲の光景には調和していなかった。
「摂津国屋と云うものです。苗字はさいきでしょうか。」魯文の記事には「さいき」とも「ほそき」とも傍訓がしてあるが、わたくしは「さいき」が正しい訓《
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