るひと》もいた。相撲は香以を認むるや否や頷《うなず》き合って進み寄って、砂の上に平伏した。「これはこれは、河岸の檀那、御機嫌宜《ごきげんよろ》しゅう、こちらに御逗留《ごとうりゅう》でございますか。どうぞ初日には御見物を。」相撲を迎えに出た土地の人達は、皆驚いて目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。「摂津国屋の隠居はえらい人だと見えて、関取衆が土下座をさっしゃる」と囁き合ったそうである。香以は交肴《まぜざかな》一|籠《かご》を相撲等に贈って、これがために一月余の節倹をした。
香以は文久三年から慶応二年まで、足掛四年寒川に住んでいた。四十二歳から四十五歳に至る間である。この間元治元年には梅屋鶴寿が歿した。慶応元年には辻花雪が歿した。花雪は狂歌合と云うことを始めた人である。
慶応二年に香以は山城河岸に帰った。今は家業の振わぬ店の隠居で、昔の友にも往来《ゆきき》するものが少かった。この頃新堀に後藤進一と云うものがあって、新堀小僧の綽名《あだな》を花柳の巷《ちまた》に歌われ、頗《すこぶる》豪遊に誇っていた。後藤は香以の帰京を聞いて、先輩としてこれを饗せむと思い立ち、木場
前へ
次へ
全55ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング