のある時であった。香以は旧交を温《たず》ねて玄魚、魯文の二人を数寄屋町《すきやちょう》の島村半七方に招いた。取持には有中、米八が来た。宴を撤してから舟を鞘町河岸《さやちょうがし》に艤《ぎ》し、松井町の稲本に往った。小稲花鳥はもういなかった。三代目小稲と称していたのは前の小稲の突出《つきだし》右近である。香以は玄魚と魯文との相方《あいかた》を極めさせ、自分は有中、米八を連れて辞し去った。
この年香以は四十歳であった。香以は旧に依って讌遊《えんゆう》を事としながら、漸く自己の運命を知るに至った。「年四十露に気の附く花野|哉《かな》。」山城河岸の酒席に森|枳園《きえん》が人を叱《しっ》したと云う話も、この頃の事であったらしい。
文久二年は山城河岸没落の年である。香以は店を継母に渡し、自分は隠居して店から為送《しおくり》を受けることとし、妾鶴には暇《いとま》を遣《や》り、妻ふさと倅《せがれ》慶次郎とを連れて、浅草馬道の猿寺《さるでら》境内に移った。蕭条《しょうじょう》たる草の庵《いお》の門《かど》には梅阿弥の標札が掛かっていた。
十一
猿寺の侘住《わびずま》いに遷った香
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