、正して点をかけ烏帽子《ゑぼし》、悪く謗《そし》らば片つはし、棒を背負《しよ》つた挙句の果、此世の名残執筆の荒事、筆のそつ首引つこ抜き、硯《すゞり》の海へはふり込むと、ほゝ敬《うやま》つて白《まう》す。」
 この年の秋猿若町市村座で、河竹新七作|網摸様燈籠菊桐《あみもようとうろのきくきり》が興行せられた。享保中の遊女玉菊の事に網打七五郎の事を併せて作ったものである。香以は河原崎権十郎、市川小団次の二人に引幕一張ずつを贈り、芸者おさんに扮した市川米五郎と桜川善孝に扮した中村鴻蔵との衣裳《いしょう》持物を寄附した。これは皆権十郎を引き立てるためであった。
 香以が浅草日輪寺で遊行上人に謁し、阿弥号|許多《あまた》を貰い受けたのもこの頃の事である。香以自己は寿阿弥と号し、幾《いくば》くもなくこれを河竹新七に譲って、梅阿弥と更めた。この年香以は三十六歳であった。

       九

 安政五年の三月市村座に、江戸桜清水清玄と云う狂言が演ぜられた。場面は仲の町引手茶屋の前である。源之助の番頭新造が吉六の俳諧師東栄の胸倉を取っている。これは東栄が所謂《いわゆる》性悪《しょうわる》をして、新造花川
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