之助の前途を気遣って、大坂町に書肆を開いている子之助の姉婿《あねむこ》摂津国屋伊三郎を迎えて、家督相続をさせようとした。子之助の姉は上杉家の奥を下《さが》って婿を取り、分家を立てていたのである。然るに子之助の継母三村氏すみは、義理ある子之助を廃嫡の否運に逢わせては、自分の庇護《ひご》が至らぬように世間の目から見られようと云って、手代等の議を拒んだ。子之助は遂《つい》に山城河岸の本家を嗣《つ》いだ。時に年三十五である。ついでに云う、竜池の狂歌の師初代弥生庵|雛麿《ひなまろ》は竜池と同年同月に歿した。

       七

 父竜池の後を継いで二世藤次郎となった子之助は、継母三村氏すみその他の親族、最故参の金兵衛以下大勢の手代の手前があるので、暫くは謹慎を守っていたが、四十九日の配物《くばりもの》が済んだ頃から遊所に通いはじめ、漸《ようや》く馴れては傍人《ぼうじん》の思わくをも顧みぬようになった。女房はまだ部屋住でいた時に迎えて、もう子供が二人ある。里方は深川木場の遠州屋太右衛門である。しかし女房も岳父《しゅうと》もただ手を束《つか》ねて傍看する外無かった。
 王侯貴人が往々文芸の士を羅致
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