こしら》えさせる。髪をちぢらせる。どうにかして美しくなろうと意気込んで、それと同時にあなたに対しては気違染みた嫉妬をしていたのです。まだ覚えておいでなさるか知りませんが、いつでしたかあなたが御亭主と一しょに舞踏会に往くとおっしゃった時、わたくしは夢中になっておこったことがありますね。わたくしはあの写真の男に燕尾服がどんなに似合うだろうと想像すると、居ても立っても居られなかったのです。
女。ええ。まだ覚えていますの。
男。それからわたくしはあなたをちょっとの間も手離すまいとしたのですね。あなたが誰と知合になられたとか、誰と芝居へおいでになったとか云うことを、わたくしは一しょう懸命になって探索したのです。あのころ御亭主は用事があってロンドンへ往っておいでになると云うことでしたから。
女。ええ。あの時のあなたの御様子は、まあ、そんな風でございましたのね。
男。それからどうなったかお考えなすって御覧なさい。ある日あなたがおいでになって、御亭主が帰られたとおっしゃったでしょう。そこでどうにかして一度御亭主に逢わせて下さいと云って、わたくしは歎願しましたね。しかしどうしてもあなたは聴きませんでしたね。するとある日の事、たしか午後にわたくしの所にいらっしゃった時でした。あなたは手紙をお落しなすったのです。わたくしはお帰りになったあとで気が附きました。その手紙に書いてあった文句はこうでした。「明日のオペラ座の切符手に入り候に付、主人同道お誘いに参り可申《もうすべく》候、何卒《なにとぞ》御待受|被下度《くだされたく》候。母上様」と云うのでした。お母あ様の所へ出す手紙を、あなたはわたくしの部屋に落してお置きになったですねえ。
女。おや。そうでしたか。あの手紙はあなたの所で落しましたのですかねえ。
男。ええ。そうでした。ところでわたくしのためにはそれが好都合だったのです。翌日わたくしが急いでオペラ座へ往って見ますと、お母あ様と御夫婦とでちゃんと桟敷にいらっしゃったのですね。
女。そこで。
男。それをあなた平気でわたくしにお聞きになるのですか。
女。ではどんなにして伺えばよろしいのでしょう。
男。だって驚くじゃありませんか。あの時わたくしには始めて分かったのです。まあ、あなたが※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]衝《うそつき》だとは申しますまい。体好く申せ
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