の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたやうな作用があることを、知らなかつたのは無理もない。しかし獻身の中に潜む反抗の鋒《ほこさき》は、いちと語を交へた佐佐のみではなく、書院にゐた役人一同の胸をも刺した。

     ――――――――――――――――

 城代も兩奉行もいちを「變な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑《つ》いてゐるのではないかと云ふ迷信さへ加はつたので、孝女に對する同情は薄かつたが、當時の行政司法の、元始的な機關が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。桂屋太郎兵衞の刑の執行は、「江戸へ伺中《うかゞひちゆう》日延《ひのべ》」と云ふことになつた。これは取調のあつた翌日、十一月二十五日に町年寄に達せられた。次いで元文四年三月二日に、「京都に於いて大嘗會《だいじやうゑ》御執行《ごしつかう》相成候《あひなりさふらう》てより日限も不相立儀《あひたたざるぎ》に付、太郎兵衞事、死罪《しざい》御赦免《ごしやめん》被仰出《おほせいだされ》、大阪北、南組、天滿の三口|御構《おかまひ》の上追放」と云ふことになつた。桂屋の家族は、再び西奉行所に呼び出されて、父に別を告げる
前へ 次へ
全21ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング