が、これは奉行に出されぬから、持つて歸つて町年寄《まちどしより》に出せと云へと云つた。
與力は、門番が歸さうとしたが、どうしても歸らなかつたと云ふことを、佐佐に言つた。佐佐は、そんなら菓子でも遣つて、賺《すか》して歸せ、それでも聽かぬなら引き立てて歸せと命じた。
與力の座を起つた跡へ、城代《じやうだい》太田備中守資晴《おほたびつちゆうのかみすけはる》が訪ねて來た。正式の見廻りではなく、私の用事があつて來たのである。太田の用事が濟むと、佐佐は只今かやうかやうの事があつたと告げて、自分の考を述べ、指圖を請《こ》うた。
太田は別に思案もないので、佐佐に同意して、午過ぎに東町奉行稻垣をも出席させて、町年寄五人に桂屋太郎兵衞が子供を召し連れて出させることにした。情僞があらうかと云ふ、佐佐の懸念も尤もだと云ふので、白洲へは責道具を並べさせることにした。これは子供を嚇して實を吐かせようと云ふ手段である。
丁度此相談が濟んだ所へ、前の與力が出て、入口に控へて氣色を伺つた。
「どうぢや、子供は歸つたか」と、佐佐が聲を掛けた。
「御意でござりまする。お菓子を遣《つかは》しまして歸さうと致しましたが
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