物分りの好い人で、子供の話を眞面目に聞いて、月番の西奉行所のある所を、丁寧に教へてくれた。當時の町奉行は、東が稻垣淡路守種信《いながきあはぢのかみたねのぶ》で、西が佐佐又四郎|成意《なりむね》である。そして十一月には西の佐佐が月番に當つてゐたのである。
爺いさんが教へてゐるうちに、それを聞いてゐた長太郎が、「そんなら、おいらの知つた町だ」と云つた。そこで※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、253−下−29]妹は長太郎を先に立てて歩き出した。
やう/\西奉行所に辿り附いて見れば、門がまだ締まつてゐた。門番所の窓の下に往つて、いちが「もし/\」と度々繰り返して呼んだ。
暫くして窓の戸があいて、そこへ四十恰好の男の顏が覗いた。「やかましい。なんだ。」
「お奉行樣にお願があつてまゐりました」と、いちが丁寧に腰を屈めて云つた。
「ええ」と云つたが、男は容易に詞の意味を解し兼ねる樣子であつた。
いちは又同じ事を言つた。
男はやう/\わかつたらしく、「お奉行樣には子供が物を申し上げることは出來ない、親が出て來るが好い」と云つた。
「いゝえ、父はあしたおしおきになりますので、それに就いてお願がございます。」
「なんだ。あしたおしおきになる。それぢやあ、お前は桂屋太郎兵衞の子か。」
「はい」といちが答へた。
「ふん」と云つて、男は少し考へた。そして云つた。「怪しからん。子供までが上を恐れんと見える。お奉行樣はお前達にお逢《あひ》はない。歸れ歸れ。」かう云つて、窓を締めてしまつた。
まつが※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、254−上−22]《あね》に言つた。「ねえさん、あんなに叱るから歸りませう。」
いちは云つた。「默つてお出。叱られたつて歸るのぢやありません。ねえさんのする通りにしてお出。」かう云つて、いちは門の前にしやがんだ。まつと長太郎とは附いてしやがんだ。
三人の子供は門のあくのを大ぶ久しく待つた。やう/\貫木《くわんのき》をはづす音がして、門があいた。あけたのは、先に窓から顏を出した男である。
いちが先に立つて門内に進み入ると、まつと長太郎とが背後《うしろ》に續いた。
いちの態度が餘り平氣なので、門番の男は急に支へ留めようともせずにゐた。そして暫く三人の子供の玄關の方へ進むのを、目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]つて見送つて居たが、やう/\我に歸つて、「これこれ」と聲を掛けた。
「はい」と云つて、いちはおとなしく立ち留まつて振り返つた。
「どこへ往くのだ。さつき歸れと云つたぢやないか。」
「さう仰やいましたが、わたくし共はお願を聞いて戴くまでは、どうしても歸らない積りでございます。」
「ふん。しぶとい奴だな。兎に角そんな所へ往つてはいかん。こつちへ來い。」
子供達は引き返して、門番の詰所《つめしよ》へ來た。それと同時に玄關脇から、「なんだ、なんだ」と云つて、二三人の詰衆《つめしゆう》が出て來て、子供達を取り卷いた。いちは殆どかうなるのを待ち構へてゐたやうに、そこに蹲《うづくま》つて、懷中から書附を出して、眞先にゐる與力《よりき》の前に差し附けた。まつと長太郎も一しよに蹲つて禮をした。
書附を前へ出された與力は、それを受け取つたものか、どうしたものかと迷ふらしく、默つていちの顏を見卸してゐた。
「お願でございます」と、いちが云つた。
「こいつ等は木津川口で曝し物になつてゐる桂屋太郎兵衞の子供でございます。親の命乞をするのだと云つてゐます」と、門番が傍から説明した。
與力は同役の人達を顧みて、「では兎に角書附を預かつて置いて、伺つて見ることにしませうかな」と云つた。それには誰も異議がなかつた。
與力は願書をいちの手から受け取つて、玄關にはいつた。
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西町奉行の佐佐は、兩奉行の中の新參で、大阪に來てから、まだ一年立つてゐない。役向《やくむき》の事は總て同役の稻垣に相談して、城代《じやうだい》に伺つて處置するのであつた。それであるから、桂屋太郎兵衞の公事《くじ》に就いて、前役の申繼を受けてから、それを重要事件として氣に掛けてゐて、やうやう處刑の手續が濟んだのを重荷を卸したやうに思つてゐた。
そこへ今朝になつて、宿直の與力が出て、命乞《いのちごひ》の願に出たものがあると云つたので、佐佐は先づ切角運ばせた事に邪魔がはいつたやうに感じた。
「參つたのはどんなものか。」佐佐の聲は不機嫌であつた。
「太郎兵衞の娘兩人と倅とがまゐりまして、年上の娘が願書を差上げたいと申しますので、これに預つてをります。御覽になりませうか。」
「それは目安箱《めやすばこ》をもお設になつてをる御趣意から、次第によつては受け
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