にはいって、子供が安心して寝つくと、また大きく目をあいてため息をついているのであった。それから二三日たって、ようよう泊まりがけに来ている母に繰《く》り言《ごと》を言って泣くことができるようになった。それから丸二年ほどの間、女房は器械的に立ち働いては、同じように繰り言を言い、同じように泣いているのである。
 高札《こうさつ》の立った日には、午過《ひるす》ぎに母が来て、女房に太郎兵衛の運命のきまったことを話した。しかし女房は、母の恐れたほど驚きもせず、聞いてしまって、またいつもと同じ繰り言《ごと》を言って泣いた。母はあまり手ごたえのないのを物足らなく思うくらいであった。この時長女のいちは、襖《ふすま》の陰に立って、おばあ様の話を聞いていた。
        ――――――――――――――――
 桂屋にかぶさって来た厄難というのはこうである。主人太郎兵衛は船乗りとは言っても、自分が船に乗るのではない。北国通《ほっこくがよ》いの船を持っていて、それに新七《しんしち》という男を乗せて、運送の業を営んでいる。大阪ではこの太郎兵衛のような男を居船頭《いせんどう》と言っていた。居船頭の太郎兵衛が沖船頭《
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