った。
「太郎兵衛の娘両人と伜《せがれ》とがまいりまして、年上の娘が願書《がんしょ》をさし上げたいと申しますので、これに預かっております。御覧になりましょうか。」
「それは目安箱《めやすばこ》をもお設けになっておる御趣意から、次第によっては受け取ってもよろしいが、一応はそれぞれ手続きのあることを申し聞かせんではなるまい。とにかく預かっておるなら、内見しよう。」
 与力は願書を佐佐の前に出した。それをひらいて見て佐佐は不審らしい顔をした。「いちというのがその年上の娘であろうが、何歳になる。」
「取り調べはいたしませんが、十四五歳ぐらいに見受けまする。」
「そうか。」佐佐はしばらく書付《かきつけ》を見ていた。ふつつかなかな文字で書いてはあるが、条理がよく整っていて、おとなでもこれだけの短文に、これだけの事がらを書くのは、容易であるまいと思われるほどである。おとなが書かせたのではあるまいかという念が、ふときざした。続いて、上《かみ》を偽る横着物《おうちゃくもの》の所為ではないかと思議した。それから一応の処置を考えた。太郎兵衛は明日《みょうにち》の夕方までさらすことになっている。刑を執行するまでには、まだ時がある。それまでに願書《がんしょ》を受理しようとも、すまいとも、同役に相談し、上役《うわやく》に伺うこともできる。またよしやその間に情偽《じょうぎ》があるとしても、相当の手続きをさせるうちには、それを探ることもできよう。とにかく子供を帰そうと、佐佐は考えた。
 そこで与力《よりき》にはこう言った。この願書は内見したが、これは奉行に出されぬから、持って帰って町年寄《まちどしより》に出せと言えと言った。
 与力は、門番が帰そうとしたが、どうしても帰らなかったということを、佐佐に言った。佐佐は、そんなら菓子でもやって、すかして帰せ、それでもきかぬなら引き立てて帰せと命じた。
 与力の座を立ったあとへ、城代《じょうだい》太田備中守資晴《おおたびっちゅうのかみすけはる》がたずねて来た。正式の見回りではなく、私の用事があって来たのである。太田の用事が済むと、佐佐はただ今かようかようの事があったと告げて自分の考えを述べ、さしずを請うた。
 太田は別に思案もないので、佐佐に同意して、午過《ひるす》ぎに東町奉行稲垣をも出席させて、町年寄五人に桂屋太郎兵衛が子供を召し連れて出《で》させることにした。情偽があろうかという、佐佐の懸念ももっともだというので、白州《しらす》へは責め道具を並べさせることにした。これは子供をおどして実を吐かせようという手段である。
 ちょうどこの相談が済んだところへ、前の与力《よりき》が出て、入り口に控えて気色《けしき》を伺った。
「どうじゃ、子供は帰ったか」と、佐佐が声をかけた。
「御意《ぎょい》でござりまする。お菓子をつかわしまして帰そうといたしましたが、いちと申す娘がどうしてもききませぬ。とうとう願書《がんしょ》をふところへ押し込みまして、引き立てて帰しました。妹娘はしくしく泣きましたが、いちは泣かずに帰りました。」
「よほど情《じょう》のこわい娘と見えますな」と、太田が佐佐を顧みて言った。
        ――――――――――――――――
 十一月二十四日の未《ひつじ》の下刻《げこく》である。西町奉行所の白州《しらす》ははればれしい光景を呈している。書院《しょいん》には両奉行が列座する。奥まった所には別席を設けて、表向きの出座《しゅつざ》ではないが、城代が取り調べの模様をよそながら見に来ている。縁側には取り調べを命ぜられた与力が、書役《かきやく》を従えて着座する。
 同心《どうしん》らが三道具《みつどうぐ》を突き立てて、いかめしく警固している庭に、拷問に用いる、あらゆる道具が並べられた。そこへ桂屋大郎兵衛の女房と五人の子供とを連れて、町年寄《まちどしより》五人が来た。
 尋問は女房から始められた。しかし名を問われ、年を問われた時に、かつがつ返事をしたばかりで、そのほかの事を問われても、「いっこうに存じませぬ」、「恐れ入りました」と言うよりほか、何一つ申し立てない。
 次に長女いちが調べられた。当年十六歳にしては、少し幼く見える、痩肉《やせじし》の小娘である。しかしこれはちとの臆《おく》する気色《けしき》もなしに、一部始終の陳述をした。祖母の話を物陰から聞いた事、夜になって床《とこ》に入《い》ってから、出願を思い立った事、妹まつに打ち明けて勧誘した事、自分で願書《がんしょ》を書いた事、長太郎が目をさましたので同行を許し、奉行所の町名を聞いてから、案内をさせた事、奉行所に来て門番と応対し、次いで詰衆《つめしゅう》の与力《よりき》に願書の取次を頼んだ事、与力らに強要せられて帰った事、およそ前日来経歴した事を問われるままに、はっ
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング