格別しおれた様子もなく、相変わらず小さい争闘と小さい和睦《わぼく》との刻々に交代する、にぎやかな生活を続けている。そして「遠い遠い所へ行って帰らぬ」と言い聞かされた父の代わりに、このおばあ様の来るのを歓迎している。
 これに反して、厄難《やくなん》に会ってからこのかた、いつも同じような悔恨と悲痛とのほかに、何物をも心に受け入れることのできなくなった太郎兵衛の女房は、手厚くみついでくれ、親切に慰めてくれる母に対しても、ろくろく感謝の意をも表することがない。母がいつ来ても、同じような繰《く》り言《ごと》を聞かせて帰すのである。
 厄難に会った初めには、女房はただ茫然《ぼうぜん》と目をみはっていて、食事も子供のために、器械的に世話をするだけで、自分はほとんど何も食わずに、しきりに咽《のど》がかわくと言っては、湯を少しずつ飲んでいた。夜は疲れてぐっすり寝たかと思うと、たびたび目をさましてため息をつく。それから起きて、夜なかに裁縫などをすることがある。そんな時は、そばに母の寝ていぬのに気がついて、最初に四歳になる初五郎が目をさます。次いで六歳になるとくが目をさます。女房は子供に呼ばれて床《とこ》にはいって、子供が安心して寝つくと、また大きく目をあいてため息をついているのであった。それから二三日たって、ようよう泊まりがけに来ている母に繰《く》り言《ごと》を言って泣くことができるようになった。それから丸二年ほどの間、女房は器械的に立ち働いては、同じように繰り言を言い、同じように泣いているのである。
 高札《こうさつ》の立った日には、午過《ひるす》ぎに母が来て、女房に太郎兵衛の運命のきまったことを話した。しかし女房は、母の恐れたほど驚きもせず、聞いてしまって、またいつもと同じ繰り言《ごと》を言って泣いた。母はあまり手ごたえのないのを物足らなく思うくらいであった。この時長女のいちは、襖《ふすま》の陰に立って、おばあ様の話を聞いていた。
        ――――――――――――――――
 桂屋にかぶさって来た厄難というのはこうである。主人太郎兵衛は船乗りとは言っても、自分が船に乗るのではない。北国通《ほっこくがよ》いの船を持っていて、それに新七《しんしち》という男を乗せて、運送の業を営んでいる。大阪ではこの太郎兵衛のような男を居船頭《いせんどう》と言っていた。居船頭の太郎兵衛が沖船頭《
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング