高瀬舟
森林太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)上《かみ》へ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)當時|相對死《あひたいし》と云つた
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]である。
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)おそる/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を、大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上《かみ》へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた默許であつた。
當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰惡《だうあく》な人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科を犯した人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時|相對死《あひたいし》と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。
さう云ふ罪人を載せて、入相の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類のものとは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族の悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮町奉行所の白洲で、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書を讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である。
同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私か
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