障《さは》つてはならぬと云つて、自刄した。家臣小笠原備前、河喜多|石見《いはみ》等は門を閉ぢて防戰し、遂《つひ》に火を放つて切腹した。豐臣方ではこれに懲りて諸大名の夫人を城内に入れることを罷《や》めた。
利安等は兼《かね》て福島の上流に小舟を出して、舟番所の樣子を見せて置くと、舟番の者共は細川邸の燒けるのを見て、多人數小舟に乘つて火事場へ往つた、其報告を得て、利安等は兩夫人を大箱に入れて、納屋《なや》の裏口から小舟に載せた。友信は穗の長さ二尺六寸餘、青貝の柄の長さ七尺五寸二分ある大身の槍《やり》に熊《くま》の皮の杉なりの鞘《さや》を篏《は》めたのを持たせ、屈竟《くつきやう》の若黨十五人を具して舟を守護した。舟が舟番所の前まで來ると、太兵衞は槍を手挟《たばさ》んで、兼ねて識合《しりあひ》の番所頭《ばんしよがしら》菅右衞門八に面會を求めた。さて云ふには、在所へ用事|出來《しゆつたい》して罷《まか》り下る、舟のお改《あらため》を願ひたいと云ふのである。友信が大兵で、ひどく力の強いことを右衞門八は知つてゐたので、いく地なく舟を改めるには及ばぬと云つた。そこで傳法川を下つて、待たせてあつた太郎
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