の罪だけは霽《はら》して進ぜたい。關が原陣で神君は先代の主人筑前守長政の手を取つて、其方の働で本意を遂げた、黒田家へは末代まで不沙汰はせぬと云はれた。此席にをられる土井殿、井伊殿、酒井殿も御承知であらうと云ふのである。
 一成、内藏允は道柏の申立に同意を表した。これで道柏、一成、内藏允は暇《いとま》を賜つた。利章は、政虎が指圖して引き取らせた。
 これから二三日立つて、忠之は老中に西の丸へ呼ばれて宣告を受けた。不調法の廉《かど》があつて筑前國を召し上げられる。去りながら祖父以來の戰功と本人の實意とを認められて、新《あらた》に筑前國拜領を仰附けられると云ふのである。其晩に直次から書状を以て平常の通心得られたいと云つて來た。忠之は夜中に麻布邸《あざぶてい》に入つた。
 三月初に利章は直孝の邸へ呼ばれた。立會には利勝が來る。忠世以下は土井邸の時と同じである。利章は丸腰で著席した。さて采女正を以て申し渡された。諫書中にある政事向の件々其外は大抵相違ない。併し右衞門佐逆意云々は僞《いつはり》に極《きま》つた。此上はかやうな申立をしたわけを明白に申せと云ふ事である。利章は答へた。諫書其外の申立を正當と御認めになつたのは難有《ありがた》い爲合《しあは》せである。右衞門佐に逆意があると申し立てたのは、右衞門佐の自分に對する私の成敗を留めるためであつた。若しあの儘に領國で成敗せられたら、自分の犬死は惜むに足らぬが、右衞門佐は御取調を受けずに領國を召し上げられたであらう。此取計は憚ながら武略の一端かと存ずると云ふのである。役人席には感動の色が見えた。
 二三日立つて、利章は再び直孝の邸へ呼ばれた。立會の人人は前度と同じで、それに南部山城守重直が加はつてゐた。松平忠弘を以て利章にかう申し渡された。此度右衞門佐は不調法の廉を以て、一旦筑前國を召し上げられ、更に先祖の功績と本人の實意とを思召されて、新に筑前國拜領を仰附けられた。其方は南部山城守へ御預けなされると云ふのである。利章は「はつ」と云つて、疊三枚程する/\と下がり兩眼に涙を浮べて「難有き爲合せに存じ奉ります」と云つた。重直が席を進めて、貴殿は公儀から百五十石の扶持《ふち》を受け、盛岡へ下向《げかう》の上は二三里の間を限り、自由に歩行せしめられると告げた。利章は重ねて禮を言つた。
 同じ頃に麻布邸へ正虎、直次が來て、道柏、一成、内藏允
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