して、敵討を許した。「早々本意を達し可立帰《たちかへるべし》、若《もし》又敵人|死候《しにさふら》はば、慥《たしか》なる証拠を以可申立《もってまをしたつべし》」と云う沙汰である。三人には手当が出る。留守へは扶持《ふち》が下がる。りよはお許は出ても、敵を捜しには旅立たぬことになって見れば、これで未亡人とりよとの、江戸での居所《いどころ》さえ極《き》めて置けば、九郎右衛門、宇平の二人は出立することが出来るのである。
 りよは小笠原邸の原田夫婦が一先《ひとまず》引き取ることになった。病身な未亡人は願済《ねがいずみ》の上で、里方桜井須磨右衛門の家で保養することになった。
 さていよいよ九郎右衛門、宇平の二人が門出《かどで》をしようとしたが、二人共敵の顔を識らない。人相書だけをたよりにするのは、いかにも心細いので、口入宿の富士屋や、請宿《うけやど》の若狭屋へ往って、色々問い質《ただ》したが、これと云う事実も聞き出されない。それに容貌が分からぬばかりでなく、生国も紀州だとは云っているが、確《しか》としたことは分からぬらしい。只酒井家に奉公する前には、上州高崎にいたことがあると云うだけである。
 そ
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