に鵜殿家から鮨《すし》と生菓子《なまがし》とを贈った。
 酉《とり》の下刻に西丸目附|徒士頭《かちがしら》十五番組水野|采女《うねめ》の指図で、西丸徒士目附永井亀次郎、久保田英次郎、西丸小人目附平岡|唯八郎《ただはちろう》、井上又八、使之者志母谷《つかいのものしもや》金左衛門、伊丹《いたみ》長次郎、黒鍬之者《くろくわのもの》四人が出張した。それに本多家、遠藤家、平岡家、鵜殿家の出役《しゅつやく》があって、先ず三人の人体《にんてい》、衣類、持物、手創《てきず》の有無《ゆうむ》を取り調べた。創は誰も負っていない。次に永井、久保田両|徒《かち》目附に当てた口書を取った。次に死骸の見分《けんぶん》をした。酒井家に奉公した時の亀蔵の名を以て調書に載せられた創はこうである。「背中|左之方《ひだりのほう》一寸程|突創《つききず》一箇所、創口|腫上《はれあが》り深さ相知不申《あひしれまをさず》、領《えり》に切創《きりきず》一箇所、長さ三寸程、深さ二寸程、同所|下之方《しものほう》に切創一箇所、長さ一寸五分程、深さ六分程、左耳之|脇《わき》に切創一箇所、長さ一寸、深さ六分程、右之肩より乳へ掛け一尺程切創一箇所、深さ四寸程、同所脇肩に切創一箇所、長さ二寸、深さ一寸程、咽《のど》突創一箇所、長さ三寸程、都合七箇所」衣類は木綿単物、博多帯、持物は浅葱《あさぎ》手拭一筋である。死骸《しがい》は玉木勝三郎に預けられた。次に呼び出されていた、亀蔵の口入人神田久右衛門町代地富士屋治三郎、同五人組、亀蔵の下請宿若狭屋亀吉が口書を取られた。次に九郎右衛門等の届を聞き取った辻番人が口書を取られた。
 見分の役人は戌《いぬ》の上刻に引き上げた。見分が済んで、鵜殿吉之丞から西丸目附松本助之丞へ、酒井家留守居|庄野慈父右衛門《しょうのじふえもん》から酒井家目附へ、酒井家から用番大久保|加賀守忠真《かがのかみただざね》へ届けた。
 十五日|卯《う》の下刻に、水野采女の指図で、庄野へ九郎右衛門等三人を引き渡された。前晩《ぜんばん》酉の刻から、九郎右衛門とりよとを載せるために、酒井家でさし立てた二|挺《ちょう》の乗物は、辻番所に来て控えていたのである。九郎右衛門、文吉は本多某に、りよは神戸に預《あずけ》られた。
 この日酉の下刻に町奉行|筒井伊賀守政憲《つついいがのかみまさのり》が九郎右衛門等三人を呼び出した。酒井
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