て来た。しかし迂濶に側までは来ない。人間の方でも噛まれてはならぬという虞《おそれ》があるから。
「クサチュカ、どうもするのじゃないよ。お前は可哀い眼付をして居る。お前の鼻梁も中々美しいよ。可哀がって遣るから、もっと此方へおいで」といった。
レリヤはこういって顔を振り上げた。犬を誉めた詞《ことば》の通りに、この娘も可哀い眼付をして、美しい鼻を持って居た。それだから春の日が喜んでその顔に接吻して、娘の頬が赤くなって居るのだ。
クサカは生れてから、二度目に人間の側へ寄って、どうせられるか、打たれるか、摩られるかと思いながら目を瞑《つぶ》った。しかし今度は摩られた。小さい温い手が怖る怖る毛のおどろになって居る、犬の頭に触れた。次第に馴れて来て、その手が犬の背中を一ぱいに摩って、また指尖で掻くように弄った。
レリヤは別荘の方に向いて、「お母あさんも皆も来て御覧。私今クサカを摩って居るのだから」といった。
子供たち大勢がわやわやいって走り寄った。クサカの方ではやや恐怖心を起して様子を見て居た。クサカの怖れは打たれる怖れではない。最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬよ
前へ
次へ
全13ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング