らっしゃりましょう。つまらないことを申し上げて、お召替のお邪魔を致しました。これでお暇を致します。」
 麻生は鶏を島村に渡して、鞋《わらじ》をびちゃびちゃ言わせて帰って行った。
 石田は長靴を脱いで上がる。雨覆を脱いで島村にわたす。島村は雨覆と靴を持って勝手へ行く。石田は西の詰の間に這入って、床の間の前に往って、帽をそこに据えてある将校|行李《こうり》の上に置く。軍刀を床の間に横に置く。これを初て来た日に、お時婆あさんが床の壁に立て掛けて、叱られたのである。立てた物は倒れることがある。倒れれば刀《とう》が傷む。壁にも痍《きず》が附くかも知れないというのである。
 床の間の前には、子供が手習に使うような机が据えてある。その前に毛布が畳んで敷いてある。石田は夏衣袴《なついこ》のままで毛布の上に胡坐《あぐら》を掻いた。そこへ勝手から婆あさんが出て来た。
「鳥はどうしなさりまするかの。」
「飯《めし》の菜《さい》がないのか。」
「茄子《なす》に隠元豆《いんげんまめ》が煮えておりまするが。」
「それで好《い》い。」
「鳥は。」
「鳥は生かして置け。」
「はい。」
 婆あさんは腹の中で、相変らず吝嗇《けち》な人だと思った。この婆あさんの観察した処では、石田に二つの性質がある。一つは吝嗇である。肴《さかな》は長浜の女が盤台《はんだい》を頭の上に載せて売りに来るのであるが、まだ小鯛《こだい》を一度しか買わない。野菜が旨《うま》いというので、胡瓜《きゅうり》や茄子ばかり食っている。酒はまるで呑《の》まない。菓子は一度買って来いと云われて、名物の鶴の子を買って来た処が、「まずいなあ」と云いながら皆平《たいら》げてしまって、それきり買って来いと云わない。今一つは馬鹿だということである。物の直段《ねだん》が分らない。いくらと云っても黙って払う。人が土産を持って来るのを一々返しに遣る。婆あさんは先ずこれだけの観察をしているのである。
 婆あさんが立つとき、石田は「湯が取ってあるか」と云った。「はい」と云って、婆あさんは勝手へ引込んだ。
 石田は、裏側の詰の間に出る。ここには水指《みずさし》と漱茶碗《うがいちゃわん》と湯を取った金盥《かなだらい》とバケツとが置いてある。これは初の日から極めてあるので、朝晩とも同じである。
 石田は先ず楊枝《ようじ》を使う。漱をする。湯で顔を洗う。石鹸《せっけん》は七十銭位の舶来品を使っている。何故《なぜ》そんな贅沢《ぜいたく》をするかと人が問うと、石鹸は石鹸でなくてはいけない、贋物《にせもの》を使う位なら使わないと云っている。五分刈頭を洗う。それから裸になって体じゅうを丁寧に揩《ふ》く。同じ金盥で下湯《しもゆ》を使う。足を洗う。人が穢《きたな》いと云うと、己の体は清潔だと云っている。湯をバケツに棄てる。水をその跡に取って手拭を洗う。水を棄てる。手拭を絞って金盥を揩《ふ》く。又手拭を絞って掛ける。一日に二度ずつこれだけの事をする。湯屋には行かない。その代り戦地でも舎営をしている間は、これだけの事を廃《よ》せないのである。
 石田は襦袢袴下《じゅばんこした》を着替えて又夏衣袴を着た。常の日は、寝巻に湯帷子《ゆかた》を着るまで、このままでいる。それを客が来て見て、「野木さんの流義か」と云うと、「野木閣下の事は知らない」と云うのである。
 机の前に据わる。膳が出る。どんなにゆっくり食っても、十五分より長く掛かったことはない。
 外を見れば雨が歇《や》んでいる。石田は起《た》って台所に出た。飯を食っている婆あさんが箸《はし》を置くのを見て「用ではない」と云いながら、土間に降りる縁《えん》に出た。土間には虎吉が鳥に米を蒔《ま》いて遣って、蹲《しゃが》んで見ている。石田も鳥を見に出たのである。
 大きな雄鶏《おんどり》である。総身の羽が赤褐色で、頸《くび》に柑子《こうじ》色の領巻《くびまき》があって、黒い尾を長く垂れている。
 虎吉は人の悪そうな青黒い顔を挙げて、ぎょろりとした目で主人を見て、こう云った。
「旦那。こいつは肉が軟《やわらか》ですぜ。」
「食うのではない。」
「へえ。飼って置くのですか。」
「うむ。」
「そんなら、大屋さんの物置に伏籠《ふせご》の明いているのがあったから、あれを借りて来ましょう。」
「買うまでは借りても好い。」
 こう云って置いて、石田は居間に帰って、刀を弔《つ》って、帽を被《かぶ》って玄関に出た。玄関には島村が磨いて置いた長靴がある。それを庭に卸して穿《は》く。がたがたいう音を聞き附けて婆あさんが出て来た。
「お外套《がいとう》は。」
「すぐ帰るからいらん。」
 石田は鍛冶町を西へ真直に鳥町まで出た。そこに此間《こないだ》名刺を置いて歩いたとき見て置いた鳥屋がある。そこで牝鶏《めんどり》を一羽買って、伏籠を職人に注文して貰うように頼んだ。鳥は羽の色の真白な、むくむくと太ったのを見立てて買った。跡から持たせておこすということである。石田は代を払って帰った。
 牝鶏を持《も》て来た。虎吉は鳥屋を厩の方へ連れて行って何か話し込んでいる。石田は雌雄《めすおす》を一しょに放して、雄鶏が片々《かたかた》の羽をひろげて、雌の周囲《まわり》を半圏状に歩いて挑むのを見ている。雌はとかく逃げよう逃げようとしているのである。
 間もなく、まだ外は明るいのに、鳥は不安の様子をして来た。その内、台所の土間の隅に棚《たな》のあるのを見附けて、それへ飛び上がろうとする。塒《ねぐら》を捜すのである。石田は別当に、「鳥を寝かすようにして遣れ」と云って居間に這入《はい》った。
 翌日からは夜明に鶏が鳴く。石田は愉快だと思った。ところが午後引けて帰って見ると、牝鶏が二羽になっている。婆あさんに問えば、別当が自分のを一羽いっしょに飼わせて貰いたいと云ったということである。石田は嫌《いや》な顔をしたが、咎《とが》めもしなかった。二三日立つうちに、又牝鶏が一羽殖えて雄鶏共に四羽になった。今度のも別当ので、どこかから貰って来たのだということであった。石田は又嫌な顔をしたが、やはり別当には何とも云わなかった。
 四羽の鶏が屋敷中を※[#「求/食」、第4水準2−92−54]《あさ》って歩く。薄井の方の茄子畠《なすばたけ》に侵入して、爺さんに追われて帰ることもある。牝鶏同志で喧嘩《けんか》をするので、別当が強い奴を掴《つか》まえて伏籠に伏せて置く。伏籠はもう出来て来た新しいので、隣から借りた分は返してしまったのである。鳥屋《とや》は別当が薄井の爺さんにことわって、縁の下を為切《しき》って拵《こしら》えて、入口には板切と割竹とを互違《たがいちがい》に打ち附けた、不細工な格子戸を嵌《は》めた。
 或日婆あさんが、石田の司令部から帰るのを待ち受けて、こう云った。
「別当さんの鳥が玉子を生んだそうで、旦那様が上がるなら上げてくれえと云いなさりますが。」
「いらんと云え。」
 婆あさんは驚いたような顔をして引き下がった。これからは婆あさんが度々《たびたび》卵の話をする。どうも別当の牝鶏に限って卵を生んで、旦那様のは生まないというのである。婆あさんはこの話をするたびに、極めて声を小さくする。そして不思議だ不思議だという。婆あさんはこの話の裏面に、別に何物かがあるのを、石田に発見して貰いたいのである。ところが石田にはどうしてもそれが分らないらしい。どうも馬鹿なのだから、分らないでも為《し》ようがない。そこでじれったがりながら、反復して同じ事を言う。しかし自分の言うことが別当に聞えるのは強《こわ》いので、次第に声は小さくなるのである。とうとうしまいには石田の耳の根に摩《す》り寄って、こう云った。
「こねえな事を言うては悪うござりまするが、玉子は旦那様の鳥も生まんことはござりません。どれが生んでも、別当さんが自分の鳥が生んだというのでござりますがな。」
 婆あさんはおそるおそるこう云って、石田が怒って大声を出さねば好いがと思っていた。ところが石田は少しも感動しない。平気な顔をしている。婆あさんはじれったくてたまらない。今度は別当に知れても好いから怒って貰いたいような気がする。そしてとうとう馬鹿に附ける薬はないとあきらめた。
 石田は暫《しばら》く黙っていて、極めて冷然としてこう云った。
「己は玉子が食いたいときには買うて食う。」
 婆あさんは歯痒《はがゆ》いのを我慢するという風で、何か口の内でぶつぶつ云いながら、勝手へ下った。
 七月十日は石田が小倉へ来てからの三度目の日曜日であった。石田は早く起きて、例の狭い間で手水《ちょうず》を使った。これまでは日曜日にも用事があったが、今日は始て日曜日らしく感じた。寝巻の浴帷子《ゆかた》を着たままで、兵児帯《へこおび》をぐるぐると巻いて、南側の裏縁に出た。南国《なんこく》の空は紺青《こんじょう》いろに晴れていて、蜜柑の茂みを洩《も》れる日が、きらきらした斑紋《はんもん》を、花壇の周囲《まわり》の砂の上に印している。厩には馬の手入をする金櫛《かなぐし》の音がしている。折々馬が足を踏み更えるので、蹄鉄《ていてつ》が厩の敷板に触れてことことという。そうすると別当が「こら」と云って馬を叱っている。石田は気がのんびりするような心持で、朝の空気を深く呼吸した。
 石田は、縁の隅に新聞|反古《ほご》の上に、裏と裏とを合せて上げてあった麻裏を取って、庭に卸して、縁から降り立った。
 花壇のまわりをぶらぶら歩く。庭の井戸の石畳にいつもの赤い蟹のいるのを見て、井戸を上から覗《のぞ》くと、蟹は皆隠れてしまう。苔《こけ》の附いた弔瓶《つるべ》に短い竿《さお》を附けたのが抛《ほう》り込んである。弔瓶と石畳との間を忙《いそが》しげに水馬《みずすまし》が走っている。
 一本の密柑の木を東へ廻ると勝手口に出る。婆あさんが味噌汁を煮ている。別当は馬の手入をしまって、蹄《ひづめ》に油を塗って、勝手口に来た。手には飼桶《かいおけ》を持っている。主人に会釈をして、勝手口に置いてある麦箱の蓋《ふた》を開けて、麦を飼桶に入れている。石田は暫く立って見ている。
「いくら食うか。」
「ええ。これで三杯ぐらいが丁度|宜《よろ》しいので。」
 別当はぎょろっとした目で、横に主人を見て、麦箱の中に抛り込んである、縁《ふち》の虧《か》けた轆轤《ろくろ》細工の飯鉢《めしばち》を取って見せる。石田は黙って背中を向けて、縁側のほうへ引き返した。
 花壇の処まで帰った頃に、牝鶏が一羽けたたましい鳴声をして足元に駈けて来た。それと一しょに妙な声が聞えた。まるで聒々児《くつわむし》の鳴くようにやかましい女の声である。石田が声の方角を見ると、花壇の向うの畠を為切《しき》った、南隣の生垣の上から顔を出している四十くらいの女がいる。下太《しもぶと》りのかぼちゃのように黄いろい顔で頭のてっぺんには、油固めの小さい丸髷《まるまげ》が載っている。これが声の主である。
 何か盛んにしゃべっている。石田は誰に言っているかと思って、自分の周囲《まわり》を見廻したが、別に誰もいない。石田の感ずる所では、自分に言っているとは思われない。しかし自分に聞せる為《た》めに言っているらしい。日曜日で自分の内にいるのを候《うかが》っていてしゃべり出したかと思われる。謂《い》わば天下に呼号して、旁《かたわ》ら石田をして聞かしめんとするのである。
 言うことが好くは分からない。一体この土地には限らず、方言というものは、怒って悪口を言うような時、最も純粋に現れるものである。目上の人に物を言ったり何かすることになれば、修飾するから特色がなくなってしまう。この女の今しゃべっているのが、純粋な豊前語《ぶぜんご》である。
 そこで内のお時婆あさんや家主の爺さんの話と違って、おおよその意味は聞き取れるが、細かい nuances は聞き取れない。なんでも鶏が垣を踰《こ》えて行って畠を荒らして困まるということらしい。それを主題にして堂々たる Philippica を発しているのである。女はこんな事を言う。豊前には諺《ことわざ》がある
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