用いるのである。そしてかのなつかしくない、軽そうに感ぜさせるからぐるまの語を忌避するのである。
空車はわたくしの往々街上において見るところのものである。この車には定めて名があろう。しかしわたくしは不敏にしてこれを知らない。わたくしの説明によって、さすところのなんの車たるを解した人が、もしその名を知っていたなら、幸いに誨《おし》えてもらいたい。
わたくしの意中の車は大いなる荷車である。その構造はきわめて原始的で、大八車というものに似ている。ただ大きさがこれに数倍している。大八車は人が挽くのにこの車は馬が挽く。
この車だっていつも空虚でないことは、言をまたない。わたくしは白山の通りで、この車が洋紙を※[#「禾+(囗<禾)」、第4水準2−82−91]載《きんさい》して王子から来るのにあうことがある。しかしそういうときにはこの車はわたくしの目にとまらない。
わたくしはこの車が空車として行くにあうごとに、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。車はすでに大きい。そしてそれが空虚であるがゆえに、人をしていっそうその大きさを覚えしむる。この大きい車が大道せましと行く。これにつないである馬は骨格が
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