仰を受けたるは茶事に御用に立つべき珍らしき品を求むる外《ほか》他事なし、これが主命なれば、身命に懸《か》けても果さでは相成らず、貴殿が香木に大金を出す事不相応なりと思され候《そろ》は、その道の御心得なき故《ゆえ》、一徹に左様思わるるならんと申候。横田聞きも果てず、いかにも某は茶事の心得なし、一徹なる武辺者《ぶへんもの》なり、諸芸に堪能なるお手前の表芸が見たしと申すや否や、つと立ち上がり、脇差《わきざし》を抜きて投げつけ候。某は身をかわして避《よ》け、刀は違棚《ちがいだな》の下なる刀掛に掛けありし故、飛びしざりて刀を取り抜き合せ、ただ一打に横田を討ち果たし候。
 かくて某は即時に伽羅《きゃら》の本木を買い取り、仲津《なかつ》へ持ち帰り候。伊達家の役人は是非《ぜひ》なく末木を買い取り、仙台へ持ち帰り候。某は香木を三斎公に参らせ、さて御願い申候は、主命大切と心得候ためとは申ながら、御役《おんやく》に立つべき侍《さむらい》一人討ち果たし候段、恐れ入り候えば、切腹|仰附《おおせつ》けられたくと申候。三斎公|聞召《きこしめ》され、某に仰せられ候はその方が申条一々もっとも至極《しごく》せり、たとい香木は貴《とうと》からずとも、この方《ほう》が求め参れと申しつけたる珍品《ちんぴん》に相違なければ大切と心得候事当然なり、総て功利の念を以《もっ》て物を視《み》候《そうら》わば、世の中に尊《とうと》き物は無くなるべし、ましてやその方が持ち帰り候伽羅は早速|焚《た》き試み候に、希代《きたい》の名木なれば「聞く度に珍らしければ郭公《ほととぎす》いつも初音《はつね》の心地《ここち》こそすれ」と申す古歌に本《もと》づき、銘を初音とつけたり、かほどの品を求め帰り候事|天晴《あっぱれ》なり、ただし討《う》たれ候《そろ》横田清兵衛が子孫|遺恨《いこん》を含《ふく》みいては相成らずと仰せられ候。かくて直ちに清兵衛が嫡子を召され、御前において盃《さかずき》を申付けられ、某は彼者《かのもの》と互に意趣を存ずまじき旨《むね》誓言《せいごん》いたし候。しかるに横田家の者どもとかく異志を存する由相聞え、ついに筑前国《ちくぜんのくに》へ罷越《まかりこ》し候《そろ》。某へは三斎公御名|忠興《ただおき》の興《おき》の字を賜《たま》わり、沖津を興津と相改め候《そろ》様《よう》御沙汰《ごさた》有之候。
 これより二年目、寛
前へ 次へ
全11ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング