にくべらるる木の切れならずや、それに大金を棄《す》てんこと存じも寄らず、主君御自身にてせり合われ候《そうら》わば、臣下として諫《いさ》め止《とど》め申すべき儀《ぎ》なり、たとい主君がしいて本木を手に入れたく思召《おぼしめ》されんとも、それを遂げさせ申す事、阿諛便佞《あゆべんねい》の所為《しょい》なるべしと申|候《そろ》。当時三十一歳の某《それがし》、この詞《ことば》を聞きて立腹致し候えども、なお忍んで申候は、それはいかにも賢人らしき申条《もうしじょう》なり、さりながら某はただ主命と申《もうす》物《もの》が大切なるにて、主君あの城を落せと仰《おお》せられ候わば、鉄壁なりとも乗り取り申すべく、あの首を取れと仰せられ候わば、鬼神なりとも討ち果たし申すべくと同じく、珍らしき品を求め参れと仰せられ候えば、この上なき名物を求めん所存なり、主命たる以上は、人倫の道に悖《もと》り候事は格別、その事柄に立入り候批判がましき儀は無用なりと申候。横田いよいよ嘲笑《あざわら》いて、お手前とてもその通り道に悖《もと》りたる事はせぬと申さるるにあらずや、これが武具などならば、大金に代《か》うとも惜しからじ、香木に不相応なる価《あたい》をいださんとせらるるは若輩《じゃくはい》の心得ちがいなりと申候。某申候は、武具と香木との相違は某若輩ながら心得居る、泰勝院殿《たいしょういんでん》の御代《おんだい》に、蒲生《がもう》殿申され候《そろ》は、細川家には結構なる御道具あまた有之《これある》由《よし》なれば拝見に罷出《まかりい》ずべしとの事なり、さて約束せられし当日に相成り、蒲生殿参られ候《そろ》に、泰勝院殿は甲冑《かっちゅう》刀剣|弓《ゆみ》鎗《やり》の類を陳《つら》ねて御見せなされ、蒲生殿意外に思《おぼ》されながら、一応御覧あり、さて実は茶器拝見致したく参上したる次第なりと申され、泰勝院殿御笑いなされ、先きには道具と仰《おお》せられ候故、武家の表道具を御覧に入れたり、茶器ならば、それも少々持合せ候とて、はじめて御取《おんと》り出《いだ》しなされし由、御当家におかせられては、代々武道の御心掛深くおわしまし、かたがた歌道茶事までも堪能《たんのう》に渡らせらるるが、天下に比類なき所ならずや、茶儀は無用の虚礼なりと申さば、国家の大礼、先祖の祭祀《さいし》も総《すべ》て虚礼なるべし、我等《われら》この度《たび》
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