た。この女は名を采蘋《さいひん》と云った。ある日玄機が采蘋に書いて遣《や》った詩がある。
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贈隣女《りんぢよにおくる》
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羞日遮羅袖《ひをさけてらしうもてさへぎる》。   愁春懶起粧《はるをうれひてきしやうするにものうし》。
易求無価宝《もとめやすきはあたひなきたから》。   難得有心郎《えがたきはこゝろあるらう》。
枕上潜垂涙《ちんじやうひそかになみだをながし》。   花間暗断腸《くわかんひそかにはらわたをたつ》。
自能窺宋玉《みづからよくそうぎよくをうかゞふ》。   何必恨王昌《なんぞかならずしもわうしやうをうらまん》。
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 采蘋は体が小くて軽率であった。それに年が十六で、もう十九になっている玄機よりは少《わか》いので、始終|沈重《ちんちょう》な玄機に制馭《せいぎょ》せられていた。そして二人で争うと、いつも采蘋が負けて泣いた。そう云う事は日毎にあった。しかし二人は直《ただち》にまた和睦《わぼく》する。女道士仲間では、こう云う風に親しくするのを対食と名づけて、傍《かたわら》から揶揄《やゆ》する。それには羨《せん》と妬《と》とも交《まじ》っているのである。
 秋になって采蘋は忽《たちまち》失踪《しっそう》した。それは趙の所で塑像を造っていた旅の工人が、暇《いとま》を告げて去ったのと同時であった。前に対食を嘲《あざけ》った女等が、趙に玄機の寂しがっていることを話すと、趙は笑って「蘋也飄蕩《ひんやへうたう》、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]也幽独《けいやいうどく》」と云った。玄機は字《あざな》を幼微と云い、また※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]蘭《けいらん》とも云ったからである。

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 趙は修法の時に規律を以て束縛するばかりで、楼観の出入などを厳にすることはなかった。玄機の所へは、詩名が次第に高くなったために、書を索《もと》めに来る人が多かった。そう云う人は玄機に金を遣ることもある。物を遣ることもある。中には玄機の美しいことを聞いて、名を索書に藉《か》りて訪《と》うものもある。ある士人は酒を携えて来て玄機に飲ませようとすると、玄機は僮僕《どうぼく》を呼んで、その人を門外に逐《お》い出させたそうである。
 然るに
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