立したような心持になった。
この時からお玉は自分で自分の言ったり為《し》たりする事を窃《ひそか》に観察するようになって、末造が来てもこれまでのように蟠《わだか》まりのない直情で接せずに、意識してもてなすようになった。その間《あいだ》別に本心があって、体を離れて傍《わき》へ退《の》いて見ている。そしてその本心は末造をも、末造の自由になっている自分をも嘲笑《あざわら》っている。お玉はそれに始て気が附いた時ぞっとした。しかし時が立つと共に、お玉は慣れて、自分の心はそうなくてはならぬもののように感じて来た。
それからお玉が末造を遇することは愈《いよいよ》厚くなって、お玉の心は愈末造に疎くなった。そして末造に世話になっているのが難有《ありがた》くもなく、自分が末造の為向けてくれる事を恩に被《き》ないでも、それを末造に対して気の毒がるには及ばぬように感ずる。それと同時に又なんの躾《しつけ》をも受けていない芸なしの自分ではあるが、その自分が末造の持物になって果てるのは惜しいように思う。とうとう往来を通る学生を見ていて、あの中に若し頼もしい人がいて、自分を今の境界《きょうがい》から救ってくれるようにはなるまいかとまで考えた。そしてそう云う想像に耽《ふけ》る自分を、忽然《こつぜん》意識した時、はっと驚いたのである。
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この時お玉と顔を識《し》り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、己惚《うぬぼれ》らしい、気障《きざ》な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初《そ》めた。それから毎日窓から外を見ているにも、又あの人が通りはしないかと待つようになった。
まだ名前も知らず、どこに住まっている人か知らぬうちに、度々顔を見合わすので、お玉はいつか自然に親しい心持になった。そしてふと自分の方から笑い掛けたが、それは気の弛《ゆる》んだ、抑制作用の麻痺《まひ》した刹那の出来事で、おとなしい質《たち》のお玉にはこちらから恋をし掛けようと、はっきり意識して、故意にそんな事をする心はなかった。
岡田が始て帽子を取って会釈した時、お玉は胸を躍らせて、自分で自分の顔の赤くなるのを感じた。女は直覚が鋭い。お玉には岡田の帽子を取ったのが発作的行為で、
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