sき違うことの出来ぬ横町に這入るのだから、危険はもう全く無いと云っても好い。石原は岡田の側《そば》を離れて、案内者のように前に立った。僕は今一度振り返って見たが、もう女の姿は見えなかった。
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僕と岡田とは、その晩石原の所に夜の更けるまでいた。雁を肴に酒を飲む石原の相伴をしたと云っても好い。岡田が洋行の事を噫気《おくび》にも出さぬので、僕は色々話したい事のあるのをこらえて、石原と岡田との間に交換せられる競漕《きょうそう》の経歴談などに耳を傾けていた。
上条へ帰った時は、僕は草臥《くたびれ》と酒の酔《えい》とのために、岡田と話すことも出来ずに、別れて寝た。翌日大学から帰って見ればもう岡田はいなかった。
一本の釘から大事件が生ずるように、青魚《さば》の煮肴が上条の夕食の饌《せん》に上《のぼ》ったために、岡田とお玉とは永遠に相見ることを得ずにしまった。そればかりでは無い。しかしそれより以上の事は雁と云う物語の範囲外にある。
僕は今この物語を書いてしまって、指を折って数えて見ると、もうその時から三十五年を経過している。物語の一半は、親しく岡田に交《まじわ》っていて見たのだが、他の一半は岡田が去った後《のち》に、図らずもお玉と相識になって聞いたのである。譬《たと》えば実体鏡の下にある左右二枚の図を、一《いつ》の影像として視《み》るように、前に見た事と後に聞いた事とを、照らし合せて作ったのがこの物語である。読者は僕に問うかも知れない。「お玉とはどうして相識になって、どんな場合にそれを聞いたか」と問うかも知れない。しかしこれに対する答も、前に云った通り、物語の範囲外にある。只僕にお玉の情人になる要約の備わっていぬことは論を須《ま》たぬから、読者は無用の臆測をせぬが好《よ》い。
底本:「雁」新潮文庫、新潮社
1948(昭和23)年12月5日発行
1985(昭和60)年11月15日第76刷改版
1988(昭和63)年8月15日82刷
初出:雑誌「スバル」
1911(明治44)年9月第3年9号 壱、弐、参
1911(明治44)年10月第3年10号 肆、伍
1911(明治44)年11月第3年11号 陸、漆
1911(明治44)年12月第3年12号 捌、玖
1912(明治45)年2月第4年
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