ト《かご》、下に置き並べてある白鳩《しらはと》や朝鮮鳩の籠などを眺めて、それから奥の方に幾段にも積み畳《かさ》ねてある小鳥の籠に目を移した。啼《な》くにも飛び廻るにも、この小さい連中が最も声高《こわだか》で最も活溌であるが、中にも目立って籠の数が多く、賑やかなのは、明るい黄いろな外国|種《だね》のカナリア共であった。しかし猶《なお》好く見ているうちに、沈んだ強い色で小さい体を彩られている紅雀《べにすずめ》が末造の目を引いた。末造はふいとあれを買って持って往って、お玉に飼わせて置いたら、さぞふさわしかろうと感じた。そこで余り売りたがりもしなさそうな様子をしている爺いさんに値を問うて、一つがいの紅雀を買った。代を払ってしまった時、爺いさんはどうして持って行くかと問うた。籠に入れて売るのではないかと云えば、そうでないと云う。ようよう籠を一つ頼むようにして売って貰って、それに紅雀を入れさせた。幾羽もいる籠へ、萎《しな》びた手をあらあらしく差し込んで、二羽|攫《つか》み出して、空籠《からかご》に移し入れるのである。それで雌《めす》雄《おす》が分かるかと云えば、しぶしぶ「へえ」と返事をした。
 末造は紅雀の籠を提げて俎橋の方へ引き返した。こん度は歩き方が緩やかになって、折々籠を持ち上げては、中の鳥を覗いて見た。喧嘩をして内を飛び出した気分が、拭い去ったように消えてしまって、不断この男のどこかに潜んでいる、優しい心が表面に浮び出ている。籠の中の鳥は、籠の揺れるのを怯《おそ》れてか、止まり木をしっかり攫んで、羽をすぼめるようにして、身動きもしない。末造は覗いて見る度に、早く無縁坂の家に持って往って、窓の所に弔るして遣りたいと思った。
 今川小路を通る時、末造は茶漬屋に寄って午食《ひるしょく》をした。女中の据えた黒塗の膳の向うに、紅雀の籠を置いて、目に可哀らしい小鳥を見、心に可哀らしいお玉の事を思いつつ、末造は余り御馳走でもない茶漬屋の飯を旨《うま》そうに食った。

     拾捌《じゅうはち》

 未造がお玉に買って遣った紅雀は、図らずもお玉と岡田とが詞《ことば》を交す媒《なかだち》となった。
 この話をし掛けたので、僕はあの年の気候の事を思い出した。あの頃は亡くなった父が秋草を北千住《きたせんじゅ》の家の裏庭に作っていたので、土曜日に上条から父の所へ帰って見ると、もう二百十日が近
前へ 次へ
全84ページ中55ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング