鉢に残った水を床に傾けた。そして「そんならこれでお暇《いとま》をいたします」と言うや否や、くるりと閭に背中を向けて、戸口の方へ歩き出した。
「まあ、ちょっと」と閭が呼び留めた。
僧は振り返った。「何かご用で」
「寸志のお礼がいたしたいのですが」
「いや。わたくしは群生《ぐんしょう》を福利し、※[#「りっしんべん+喬」、第3水準1−84−61]慢《きょうまん》を折伏《しゃくぶく》するために、乞食《こつじき》はいたしますが、療治代はいただきませぬ」
「なるほど。それでは強《し》いては申しますまい。あなたはどちらのお方か、それを伺っておきたいのですが」
「これまでおったところでございますか。それは天台の国清寺で」
「はあ。天台におられたのですな。お名は」
「豊干《ぶかん》と申します」
「天台国清寺の豊干とおっしゃる」閭はしっかりおぼえておこうと努力するように、眉をひそめた。「わたしもこれから台州へ往くものであってみれば、ことさらお懐かしい。ついでだから伺いたいが、台州には逢いに往ってためになるような、えらい人はおられませんかな」
「さようでございます。国清寺に拾得《じっとく》と申すものがお
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