っておきますと、寒山はそれをもらいに参るのでございます」
「なるほど」と言って、閭はついて行く。心のうちでは、そんなことをしている寒山、拾得が文殊《もんじゅ》、普賢《ふげん》なら、虎に騎《の》った豊干はなんだろうなどと、田舎者が芝居を見て、どの役がどの俳優かと思い惑うときのような気分になっているのである。
――――――――――――
「はなはだむさくるしい所で」と言いつつ、道翹は閭を厨のうちに連れ込んだ。
ここは湯気が一ぱい籠《こ》もっていて、にわかにはいって見ると、しかと物を見定めることも出来ぬくらいである。その灰色の中に大きい竈《かまど》が三つあって、どれにも残った薪《まき》が真赤に燃えている。しばらく立ち止まって見ているうちに、石の壁に沿うて造りつけてある卓《つくえ》の上で大勢の僧が飯や菜や汁を鍋釜《なべかま》から移しているのが見えて来た。
このとき道翹が奧の方へ向いて、「おい、拾得」と呼びかけた。
閭がその視線をたどって、入口から一番遠い竈の前を見ると、そこに二人の僧のうずくまって火に当っているのが見えた。
一人は髪の二三寸伸びた頭を剥《む》き出して、足には草履をはいている。今一人は木の皮で編んだ帽をかぶって、足には木履《ぼくり》をはいている。どちらも痩《や》せてみすぼらしい小男で、豊干のような大男ではない。
道翹が呼びかけたとき、頭を剥き出した方は振り向いてにやりと笑ったが、返事はしなかった。これが拾得だと見える。帽をかぶった方は身動きもしない。これが寒山なのであろう。
閭はこう見当をつけて二人のそばへ進み寄った。そして袖を掻《か》き合わせてうやうやしく礼をして、「朝儀大夫、使持節、台州の主簿、上柱国、賜緋魚袋《しひぎょたい》、閭|丘胤《きゅういん》と申すものでございます」と名のった。
二人は同時に閭を一目見た。それから二人で顏を見合わせて腹の底からこみ上げて来るような笑い声を出したかと思うと、一しょに立ち上がって、厨を駆け出して逃げた。逃げしなに寒山が「豊干がしゃべったな」と言ったのが聞えた。
驚いてあとを見送っている閭が周囲には、飯や菜や汁を盛っていた僧らが、ぞろぞろと来てたかった。道翹は真蒼《まっさお》な顏をして立ちすくんでいた。
[#地から1字上げ]大正五年一月
底本:「日本の文学3 森鴎外(二)」中央公論社
1967(昭和42)年2月4日初版発行
入力:佐野良二
校正:伊藤時也
2000年9月12日公開
2004年12月4日修正
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