お支度でいらっしゃるじゃありませんか。
画家。これかい。そりゃあ出掛けるには出掛けるのだが、まだ早い。まあ腰でも掛けないか。近頃は忙《いそが》しいかい。
モデル。(進みて藁椅子に腰を掛く。画家は今一つの低き椅子の背に腰を半分掛く。)いいえ。どなたも何んにもなさらないようですわ。
画家。(微笑《ほほえ》む。)それ見ろ。己《おれ》だって同じ事だ。
モデル。(やはり微笑む。)それで毎日毎日何をしていらっしゃるの。
画家。フロックコオトに御奉公をしているのだ。こういっては分るまい。人の処へ訪問に出掛けたり、人に案内をして貰《もら》ったりしているのだ。
モデル。急にそんな事が面白くお成りになったの。
画家。いや、面白くも何んともありゃしない。
モデル。それなのにどうしてそんな事をしていらっしゃるの。
画家。ふん。自分のために面白い事が出来なければ為方《しかた》がないじゃないか。
モデル。おかきなされば好いでしょう。
画家。それがかけないのだ。
モデル。かけないのですって。
画家。うむ。
モデル。嘘《うそ》だわ。冬なんぞは。
画家。そりゃあ冬は違うさ。十一月頃の薄暗い天気の日に、十一時頃になっても
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