、是れは言語の變遷ではない、是れは文盲から生じ來たのである。「得しむ」と云ふ詞を知らない人が「得せしむ」と云ふ詞を書いた。例の惡口の歌に「伊勢をかし江戸ものからに京きこえししとせしとは天下通用」と云ふ間違をひやかした[#「ひやかした」に傍点]歌があります。丁度あゝ云ふ譯で一時流行して來たのであります。斯う云ふことは又弖爾乎波ばかりではない、漢字にもあります。私は勿論何にも知らない、漢字も知りませぬ。併し模糊《もこ》などと云ふ語はどの新聞を見ても「も」の字が米へんになつて居りますが、あれなどは木へんだと云ふことであります。斯う云ふのを一々變遷だと認めて來ると今度は新しい漢字までも拵《こしら》へなければならぬことになつて來ようかと思ひます。兎に角私は今便利な新道が出來て居ると認めるのは觀察を誤つて居るのではないかと思ふ。それから街道の比喩に對して芳賀博士は又別な比喩を出されました。舊《ふる》い街道は是れは街道ではない、廢道になつてしまつて居るのである、荊棘《いばら》が一杯生えて居つて、それを古學者連が刈除いて道にしようと思つたけれども、人民は從つて行かない。斯う云ふやうな比喩を出されました
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