に入つて居る部分はいたはつて[#「いたはつて」に傍点]存して置いて、意識に入つて居ないものを直すと、斯う云ふ御論であります。併し或るものは意識に入つて居ると云ふことを認めると云ふと、未だ意識に入つて居らない部分も或は仕方に依つては意識に入り得るものではあるまいかと思ふ。扨《さて》古學者が假名遣のことをやかましく[#「やかましく」に傍点]論じて居るのに、例之ば本居の遠鏡《とほかゞみ》の如き、口語で書く段になると、決して假名遣を應用して居らぬと云ふことを、假名遣を一般に普通語に用ゐるのは不可能である、或は困難であると云ふ證據に引かれますけれども、是れは少し性格が違ふかと思ふ。古學者達は文語と云ふものは貴族的なもののやうに考へて居りますから、そこで貴族の階級を極く嚴重に考へまして、例之ば印度《インド》の四姓か何かのやうに考へまして、ずつと下に居る首陀羅《しゆだら》とか云ふやうな下等な人民は、是れは論外だ、斯う云ふ風に見て居りますから、所謂俗言と云ふものを卑《いや》しんだ爲めに、俗言のときは無茶なことをしたのであります。若し假名遣を俗言に應用する意があつたならば、所謂俗言を稍※[#二の字点、1−2−22]重く視たならば、あんなことはしなかつたらうと思ふのであります。それでありますから芳賀博士が、若し本居先生などが今在つたならば決して假名遣を國民に布くなどと云ふことは云はれないだらうと云はれるのは、同意が出來兼ます。本居先生が今在つたならば、必ずや國民に假名遣を教へようとしただらうと思ひます。本居先生のみならず堀秀成先生の如きも、是れは死なれてから間もありませぬけれども、若し今日居られたら矢張假名遣を國民に行はうとしたであらうと思ふ。明治の初年に文部省では假名遣を小學校に使用しました。此の結果に就いても私は見方を異にして居る。たしか[#「たしか」に傍点]江原君でありましたか、存外此の假名遣は兒童に歡迎せられたと云ふことを言はれました。私も其の時はまだ半分子供でありましたが、確に歡迎したのであります。若し彼の時の文部省の方針が確定して動かずに今日まで繼續せられて居つたならば、或は餘程人民に廣く假名遣が行はれて居りはすまいかと思ふ。稍※[#二の字点、1−2−22]上の學校、中學以上になつて假名遣を誤る例を頻りに擧げられて、それを以て困難若くは不可能の證明にしようとせられますけれど
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