に少數の役に立つものが、丁度美麗な草木が出て來て花が咲くやうに、出て來ると云ふ樣な想像を有つて居る。少くも此の假名遣を少數者の用に供する者だと云ふ側から之れを排斥しますれば、其の反對の側に立ちますると云ふと、斯う云ふ風に言へるかと思ひます。一體古來假名遣と云ふものは少數のものであつたかも知れぬ。又近世復古運動が起りましても、此波動は餘り廣くは世間に及んで居ないに違ひない。併し契冲以來の諸先生が出て來られて假名遣を確定しようとせられた運動に、之れに應ずるものは國民中の少數ではあるけれども、國民中の精華であるとも云はれる。斯う云ふ意見を推擴めて人民の共有に之れをしたいと斯う云ふやうな議論が隨分反對の側からは立ち得ると自分は信じます。兎に角多數者の用ゐる者に限つて承認すると云ふ論には同意しませぬ。次に當局始め諸君は假名遣の有無を論ずると共に、假名遣に正とか邪とか云ふことはないと仰しやつたやうに聽きました。渡部主事の御説明は私は初めの日に遲れて出まして半分しか聽きませぬけれども、大變精密な説明でありまして、其の中には自分が斯う言つたらば他の人が斯う言ふだらうが、それは斯うであると云ふやうに、先潜りまでせられまして有ゆる方面の防禦をして居られます。恰《あたか》も其の老吏獄を斷ずと云ふ樣な工合、或は Sophist の論とでも云ふ樣な工合に、大變巧みに出來て居りまして、御苦心の程を察するのであります。是れも十分の尊敬を拂つて聽きましたけれども、是れも同意は出來ないのであります。一體正邪と云ふことを説きまするは甚だ聽苦しいことでありまして、所謂芳賀博士の言はれた愛國説などにも關係を有つて來る。一體道義のことなどを口にすることは聽苦しい。口で忠義立をする程卑しいことはありませぬ。哲學者の Theodor Vischer が云ひましたことに das Moralische versteht sich von selbst と云ふことがある。道義上のことは言を俟たない。これを口癖に Vischer は言つて居ました。そんなことを言ふのは一體要らないことである。併し國運の消長が言語に關係を有ち又言語の精華たる文語に關係を有つて居る、隨つて假名遣にも關係を有つて居ることは明白であります。獨逸の如きは新假名遣の運動が盛んに起りまして學校等で隨分廣く用ゐるやうになりましたけれども、Bismarc
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