例の陳勝呉廣《ちんしやうごくわう》のやうなものが早く前からあるのであります。既に南朝の藤原長親《ふぢはらのながちか》即ち明魏《みやうぎ》法師も假名は心の儘《まゝ》に書けと云ふことを云つて居ります。それから極く近くなりますと、澤山さう云ふ例があります。漢學者の帆足萬里先生、彼の人は嘉永五年に歿しました。彼の人の「假字考」と云ふものに斯う云ふことが書いてあります。「今の世の假名遣と云ふものは正理あるものにあらず、久しく用ゐなれぬれば、強《しひ》て破らんも好からぬ業なるべし、其の掟《おきて》にたがひたりとてあながちに病むべからず」是れは許容説の元祖とも言へませう。それから井上文雄と云ふ先生があります。明治四年に歿しましたが、此の人の「假字一新」と云ふ本があります。是れも假名は心の儘に書けと云ふのであつて、復古の假名遣を排斥しまして、却《かへ》つて定家の方に荷擔《かたん》して居ります。それから井上|毅《こはし》先生の字音假名遣のこと、是れは當局が此席でも御引用になつて居る。斯う云ふやうな沿革を經て來て、さうして今日の假名遣改正の問題が出て參りまして、頗る堅牢《けんらう》な性質の運動になつて來たやうに思ひます。先づ斯う云ふ沿革だと自分は思つて居ります。
 是れから少しく自分の意見を述べようと思ひます。最も私が感歎して聞きましたのは大槻博士の御演説でありました。引證の廣いことは固《もと》より、總て御論の熱心なる所、丁度彼の伊太利の Renaissance 時代の Savonarola の説教でも聽いたやうな感がしました。私は尊敬して聽きました。併し其の御説には同意はしませぬ。少數者の用ゐるものは餘り論ずるに足らない、多數の人民に使はれるものでなければならぬと云ふのが御論の土臺になつて居ります。併し何事でもさう云ふ風に觀察すると云ふと、恐《おそら》くは偏頗《へんぱ》になりはすまいかと思ふのであります。政治で言つて見ても多數に依れば Demokratie 少數ならば Aristokratie と云ふ者が出て來ます。此の頃の思想界に於て多數の方から、多數の方に偏して考へますると云ふと、社會説などもそれであります。それから之れに反動して極く少數のものを根據にして主張する Nietzsche の議論などもある。之れに據ると多數人民と云ふものは芥溜《ごみため》の肥料のやうなものである、其中
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