誌も読む。新刊書も読む。読んで独り自ら評価して居る。ただこの評価は思想を同じゅうして居ないものの評価で、天晴《あっぱれ》批評と称して打出して言挙《ことあげ》すべきものでないばかりだ。しかし筆の走りついでだから、もう一度主筆に追願《おいねがい》をして、少しくこの門外漢の評価の一端を暴露しようか。明治の聖代になってから以還《このかた》、分明に前人の迹《あと》を踏まない文章が出でたということは、後世に至っても争うものはあるまい。露伴の如きが、その作者の一人であるということも、また後人が認めるであろう。予はこれを明言すると同時に、予が恰《あたか》もこの時に逢うて、此《かく》の如き人に交ることを得た幸福を喜ぶことを明言することを辞せない。また前に挙げた紅葉等の諸家と俳諧での子規との如きは、才の長短こそあれ、その作の中には予の敬服する所のものがある。次にここに補って置きたいのは、翻訳のみに従事していた思軒と、後《おく》れて製作を出した魯庵《ろあん》とだ。漢詩和歌の擬古の裡《うち》に新機軸を出したものは姑《しばら》く言わぬ。凡《おおよ》そ此等の人々は、皆多少今の文壇の創建に先だって、生埋の運命に迫ら
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