誌も読む。新刊書も読む。読んで独り自ら評価して居る。ただこの評価は思想を同じゅうして居ないものの評価で、天晴《あっぱれ》批評と称して打出して言挙《ことあげ》すべきものでないばかりだ。しかし筆の走りついでだから、もう一度主筆に追願《おいねがい》をして、少しくこの門外漢の評価の一端を暴露しようか。明治の聖代になってから以還《このかた》、分明に前人の迹《あと》を踏まない文章が出でたということは、後世に至っても争うものはあるまい。露伴の如きが、その作者の一人であるということも、また後人が認めるであろう。予はこれを明言すると同時に、予が恰《あたか》もこの時に逢うて、此《かく》の如き人に交ることを得た幸福を喜ぶことを明言することを辞せない。また前に挙げた紅葉等の諸家と俳諧での子規との如きは、才の長短こそあれ、その作の中には予の敬服する所のものがある。次にここに補って置きたいのは、翻訳のみに従事していた思軒と、後《おく》れて製作を出した魯庵《ろあん》とだ。漢詩和歌の擬古の裡《うち》に新機軸を出したものは姑《しばら》く言わぬ。凡《おおよ》そ此等の人々は、皆多少今の文壇の創建に先だって、生埋の運命に迫られたものだ。それは丁度雑りものの賤金属《せんきんぞく》たる鴎外が鋳潰《いつぶ》されたと同じ時であった。さて今の文壇になってからは、宙外の如き抱月の如き鏡花の如き、予はただその作のある段に多少の才思があるのを認めたばかりで、過言ながらほとんど一の完璧《かんぺき》をも見ない。新文学士の作に至っては、またまた過言ながら一の局部の妙をだに認めたことが無い。予は是《ここ》において将《まさ》に自ら予が我分身の鴎外と共に死んで、新しい時代の新しい文学を味わうことを得ないようになったかを疑わんとするに至った。然るにここに幸なるは、一事の我趣味の猶依然たることを証するに足るものがある。それは何であるか。予は我読書癖の旧に依るがために、欧羅巴の新しい作と評とを読んで居る。予は近くは独逸《ドイツ》のゲルハルト・ハウプトマンの沈鐘を読んだ。そして予はこの好処の我を動かすことが、昔前人の好著を読んだ時と違わぬことを知った。鴎外は殺されても、予は決して死んでは居ない。予は敢《あえ》て言う。希臘《ギリシャ》語に「エピゴノイ」ということがある。猶此に末流と云うがごとしだ。新文学士諸家も、これと袂《たもと》を聯《つら》
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