」と云ふ暗黒な秘密を感じたかも知れない。
猿は両手を縛られてゐた繩を引きちぎつた。頭の背後《うしろ》で結んである目隠しの布をかなぐり棄てた。そして銃を構へた水兵等や、それから士官等や、物見高い乗客や、判事などの群を見渡した。その目の中には恐怖と憤怒と努力との三つが電光の如くに閃いた。それから大胆に身を跳らして一人の士官の肩の上に飛び上がつて、次に一人の水兵の肩に移つて、非常な速度を以て舷《ふなばた》に飛び付いて、高く叫びながら海に飛び込んだ。
「やあ、海へ這入つた。猿が海へ這入つた。」かう云つて大勢が舷へ駆け寄つた。水兵の中には猿を助けに続いて海へ飛び込まうとした者もある。「ボオトを卸せ」と云ふ者もあつた。
この騒は無駄であつた。ふびんな猿は一瞬間水面を泳いで、波と戦つてゐたが、とうとう沈んで見えなくなつた。
M提督はこの話をしてしまつて云つた。「言ふまでもなく、それから先の航海はなんとなく物悲しかつたのですよ。こんな事を言つたら、あなたは笑ふでせうが、猿が溺れてからは、艦内で笑声はしなくなりました。丁度親類か友達の死んだ時のやうに、何物を見るに付けても、ふびんなジヨツコオの事が
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